『THEマクロビオティック』(久司道夫著)を読んでいたら、「腎臓および膀胱癌」の項に「みそと長ネギのふりかけ」、いわゆる「ねぎ味噌」のことが載っていた。
毎食小さじ1杯ずつ、主食とともに食べると良いらしい。
ねぎ味噌! その響きに、無性に食欲をそそられる。マクロビオティック料理のレシピ本に載っているのを前に見たことがあって、気になってはいたのだ。簡単そうだし、作ってみよう!
だが、ここからが一苦労。『THEマクロビオティック』掲載のレシピ内容が、どう考えてもしっくりこない。
長ねぎをみじん切りにしてそのかさを量るというところまでは良い。だが、その長ねぎと同量のごま油を用意するというではないか。長ねぎを2本も切れば、200ccのカップ1杯は優に超えるだろう。そうしたら、ごま油もカップ1以上用意するということ……?
油が多すぎやしないか?
そして、味噌はネギの3倍量だという。カップ1杯のネギと油に、カップ3杯の味噌……? 油ぎっしゅの味噌まみれじゃないか?
できるだけ久司氏のレシピに従おうと思っていたが、何かおかしいとしか思えない。元々アメリカで出版された本だから、日本語に訳するときに間違いが生じたのかもしれない……と決めて、分量は『毎日のマクロビオティックレシピ140』、『リマクッキング』を参考にすることにした。
そうして初めてのねぎ味噌作りがスタートした。ねぎを「みじん切りにする」というのは久司氏流。小口切りにしてからせっせとみじん切りにしたが、これがなかなか目にしみる! さすが玉ネギの親類……。
油の量は日本のレシピ本に従い、可愛く「小さじ1」。うん、そのくらいが妥当だよな。ひげ根とねぎを炒めてから、注水せずにフタをして蒸し焼くのは久司氏流。弱火で20分。
すっかりしんなりとして色あせたねぎの上に、少量の水で溶いた味噌をのせて再びフタをして弱火で20分。最後にかき混ぜて完成だ。
さて……。ねぎと味噌だけというおそろしくシンプルな材料でできた「ねぎ味噌」。頭の中で二つの味を組み合わせてみる。味噌のしょっぱさと、ねぎの辛さ。きつめの味を想像しながらヘラについたねぎ味噌を少しなめてみた。途端に、口の中に甘みがいっぱいに広がる。
……甘い? 甘いってどういうことだ? まるでみりんか砂糖でも入れたような甘さだ。そして、ニンニクのような香りもある。ピリッとしたねぎの辛みも生きている。それらが味噌のコクと相まって、予想もできなかったような美味しさを醸し出している!
玉ネギをじっくり炒めると甘みが出るのは知っていた。それが長ねぎにも当てはまるということを初めて知った。合計40分、弱火でゆっくりと蒸し焼かれた長ねぎは、ふわふわととても甘くなっていたのだ。恐るべし長ねぎ!
普通、長ねぎにそこまで火を通そうとは思わない。他に甘い野菜はいくらでもあるから長ねぎに「甘さ」なんて期待していないし、甘味料だってあるのだから、甘くしたければ手っ取り早くそういうものを使えばいいと思ってしまう。
けれど、厳格なマクロビオティックにおいて、甘味料は体を弱らせないためにも極力避けた方が良い。だから、「長ねぎ」という食材に、とことん執着しなければいけない。
長ねぎは本来辛いもの。火の通し方が浅ければ辛みが残る。だったら、どこまでも火を通して、甘くしてやる。そんなマクロビオティックの執念を感じる。
辛いなら、甘くしてやろうホトトギス。その思いこみの強さというか、からし種一粒の信仰が山をも動かすような奇跡というか、なんともマクロビオティックというものの底力を感じさせられた。
「ねぎ味噌」は、「鉄火味噌」と並び、「ザ・マクロビオティック料理」にふさわしい一品だろう。
私は早速できたてのねぎ味噌を玄米ご飯にのせてみた。
ご飯にほんの少しねぎ味噌を添えて、口に運ぶ。これが何とも言えず、玄米ご飯に合う! ねぎ味噌だけでご飯がどんどん進んでしまう!
母も気に入り、二人であっと言う間に消費してしまった。今度は長ねぎ3本でねぎ味噌を作り、タッパーに入れて常備菜にした。
三冊のレシピ本の分量と手順をミックスさせて作った今回のねぎ味噌。私としては大満足の結果となった。
これから作ろうとする方にアドバイスするとすれば、ねぎ味噌の成否を決めるのは「ねぎの甘さ」だから、しつこく火を通してほしいということだ。長ねぎの分量が増えれば増えるほど、火を通す時間も長くした方が良い。焦って火を強くしてはいけない。あくまでも弱火で、ねぎが持つ水分で蒸し焼くのだ。
味噌を入れて、完成間近になってから「あ、まだちょっと辛いかも!」と気づいてしまっても遅くはない。フタをして、引き続き火を通し続ければ、甘くなる。
冷蔵庫で保管すれば二週間以上はもつ。長ねぎが余ったときにでも挑戦していただければ、きっと楽しい体験ができるだろう。
(今回作った「ねぎ味噌」のレシピはこちら!)