マクロビオティックのルールを厳格に守ろうとし過ぎて、振り回されて、苦しかった時期がある。
肉はダメ、魚もダメ、トマトもジャガイモもナスもほうれん草もダメ。果物も卵も牛乳もチーズも白砂糖も精白小麦粉もダメ。
いかにそのようなものを「食べないか」に意識が向いていた。神経質になり、自分でも「こんな状態は窮屈だなあ」と感じていた。マクロビオティックの知識がなかったときは自由だったなあ、あの頃に戻りたいなあ……なんて思うこともあった。
マクロビオティックにおいて、本来、「食べてはいけないもの」などない。肉や魚は「食べたいと思わないから食べない」だけであり、食べたければ食べれば良いのだ。頭ではそうわかっていた。
けれど、そういうものを食べると決まって罪悪感が生まれた。「本当は食べてはいけないものを食べた」。いや、違う、何だって食べていいはずだ、罪悪感って何? 何が罪なの? 誰が、何に対してどんな罪を犯したというの? 笑っちゃうよ……。
罪ではないと判断する理性と、罪だと怯える感情が対立して、自分でも手に負えなかった。
葛藤しながら、食べたものと体調、精神状態の関係を観察しながら、日々を送った。そして発見した。
基本の食事を「玄米おにぎりと味噌汁」のような中庸なものにしておけば、たまに果物や肉、乳製品やジャガイモを食べたくらいで体調は崩れない。
禁忌とされるものを「いかに食べないか」ではなく、「いかに食べるか」。肉や魚をたまに食べることを前提に、普段の食事をととのえれば良いのだ。
禁忌食で体調が崩れるのは、アレルギーが発生するときに似ている。私は肉、卵、牛乳の食物アレルギーもちで、その症状としてアトピー性皮膚炎があるわけだが、発疹が出るのはアレルゲンを継続的に、あるいは大量に摂ったときに限る。
アレルゲンを食べない時期が長ければ、たまに肉や卵を摂ったからといって皮膚症状は出てこない。何か、アレルゲンを入れる容器が体内にあり、その容器がいっぱいになって溢れるとアトピーが出るという感じ。アレルゲンを摂らなければ少しずつその容器の中身は減っていき、たまに食べても溢れはしないのだ。
マクロビオティックにおいても同じことが言えると感じている。「これ以上摂ると体調が崩れる」というラインを超えないようにコントロールできれば、禁忌食も恐るるに足らず。
そう考えるようになってからふっと全身の力が抜け、楽になった。食べないでもいられるようになったとは言え、たまに肉や魚が食べたくなるのも事実。だから、その「食べたくなったとき」のために、普段は節制して過ごす。
禁忌食を食べたくなったとき、「もどき料理」で済ますという手もある。たとえば「豆乳の生クリーム」を使ったケーキや「小麦粉グルテン(コーフー)の肉もどき」など。それも素晴らしい知恵だとは思う。
だが概してもどき料理というのは作るのに時間がかかり、食材も手に入りにくかったりする。料理にそこまでの情熱を注げない私には向いていない手段だ。
ケーキを食べたきゃ卵や牛乳を使ったケーキを食べりゃいい。肉を食べたきゃ食べりゃいい。その代わり、普段は質素で素朴なものを食べる。要はメリハリをつけるということだ。そのやり方が私には合っている。変に我慢しなくていいから、ストレスが溜まらない。
そして迎えた2008年のクリスマス。前から食べたかった「照り焼きチキンのピザ」を焼いた。生地は全粒粉:強力粉が半々の割合で手作り。鶏肉は国産の地鶏。醤油と酒とみりんを50ccずつ合わせたもので照り焼きにし、ねぎと舞茸を炒めたものを具としてたっぷりとのせた。
↑マヨネーズもかかっていたりして、なかなかこってり系。だがこれが美味しかった! よく噛んで味わって食べた。とても満足した。
もうすぐお正月。正月も、一年を代表する美食の時期。とりあえずお雑煮には例年のごとく鶏肉を入れたい。おめでたいムードに乗って、刺身やカニなんかも食べたくなるだろう。
さあ、そのときのために節制だ。クリスマスから正月まで、短いインターバルだが、玄米おにぎりと味噌汁、漬物といった僧侶食で通そうと思っている。