マクロビオティックという学舎を卒業し、自分だけの健康道を歩むと前回のコラムに書いたが。
なぜマクロビオティック道ではなく、似てはいるがまったく異なる道を歩もうと決意するに至ったか、その経緯を振り返ってみたい。
兆候は、すでに今年の四月あたりからあらわれていたように思う。マクロビオティックの本も読み尽くし、実践も熟練の域に達し、新しいことがなくなって飽き始めていた。
これじゃいかんと焦り、マクロビオティックの中で少しでも未知のものがあればそれを調べたりして気を紛らわせたが、ネタはすぐに尽きる。やぶれかぶれになって、マクロビオティック以外の健康法に手を出したら体調が崩れた。(この体調の崩れについて詳しくは「マクロビオティック実践の果てに病に堕ちる」参照)
マクロビオティック実践者なのに、大きな風邪をひいた。
この事実は、私の中にあったマクロビオティックというガラスの砦を粉々に打ち砕いた。
マクロビオティックさえやっていれば病気にならないはず
私は、マクロビオティックをやってさえいれば病気にならないと、なかば本気で信じていた。
だが病気になった。夢から覚めたような気分だった。
いや、しっかりとマクロビオティックを実践できていれば風邪などひかなかっただろう。私がマクロビオティックの原則を破り、勝手に他の健康法に手を出したから風邪をひいたのだ。
だがそれまで三年近く、かなり厳密にマクロビオティックをやっていたわけだから、そんなちょっとのことで崩れてほしくはなかった。
孤独でなくなる
しかし崩れて良かったのだ。私は病を得て、孤独ではなくなった。
それまで、自分が孤独と感じていることに気づいていなかった。気づいたのは、テレビで風邪薬のコマーシャルを見たとき。
マクロビオティックをバリバリ実践して健康を維持しているときは、風邪薬のコマーシャルなど私とは無関係のものだった。 風邪で困っている人の感覚がわからない。風邪? それって何? ってなもんだった。
けれど、風邪をひいた身には、風邪薬というものがとても近しく感じられた。そして思った。「みんなと同じになれた」。
みんなと同じ。そう感じてほっとしている自分を発見し、私は驚いた。私は大衆の病である「風邪」をひいて、風邪をひくような普通の人々の仲間になれたと思って嬉しかったのだ。
みんな一緒
ニュースを注意深く見ていると、相撲取りも、野球選手も、皆インフルエンザにかかったりしていた。
健康体の代名詞とも言えるようなスポーツ選手でもインフルエンザになるんだ。そうかあ、みんな一緒だね!
私は無意識のうちに、大多数である非マクロビオティック実践者と自分は違う人種だと感じていたようなのだ。
みんなとは違う、なんだか変わったところに属している。そんな気分があったようなのだ。
風邪をひいたことで、猥雑ではあるけれどにぎやかで活気にあふれた人里に降りてこられたような気がした。
風邪は、私が皆と同じ人間であることの証だった。
私はこれからも、みんなと同じところで暮らしたい。
そのためにはどうしたらいいの?
"マクロビオティック"という固有名詞が、自分の中で少しずつ重たくなってきていた。
次回(その2)に続く…
【マクロビオティック卒業後の食事法について】
追記:その後、マクロビオティックを卒業し、自分オリジナルの健康道に移行しました。↓
↑「玄米・ごぼう汁基本食」を食べたらあとは何を食べても自由という食事法です。