千二百年前の一自由人-桜沢如一選集
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「千二百年前の一自由人-桜沢如一選集」を読んだ感想
桜沢如一氏ご本人の著作で、現在日本で絶版にならず売られている本は見かければ必ず買ってきましたが、本書が終わりの一冊となりました。桜沢氏の新しい文章を読めるのもこれが最後と、感傷的な気持ちでページを繰り始めたのに、最初から「ん?」と眉をひそめてしまいました。
なにせ読者に対して手厳しいのです。最澄や伝教といった仏教の高僧の、自ら困苦を求めて偉大な業績をうち立てた素晴らしさと比べ、自分(桜沢氏)は劣る。ましてや君たちはなんてていたらくなんだ! という論調です。二人称で「君」と呼びかけられるから、まるで自分に言われているように感じます。
『君は「犬のクソ」「ダンマリ」「ドレイ」と朝から晩までどなられ、五千哩もはなれた私にまだどならせドーヤラ自分は「ドレイ」「不自由人」らしい、位の自覚しかない。ソレすらないのもいる。』(p.20)
読んでいて少しムッとしましたが、いや、ここまで言ってくれる人はそういない、桜沢氏も私たちに向上を強く望むからこそここまで厳しく言ってくれるのだと思い直しました。
本書は、桜沢氏が61歳のときに「伝教大師」という本を読んで初めて「伝教」という僧の生き様を知り、感動して書き上げたもののようです。ですから、「法華経」など、仏教関連の話がたくさん出てきます。そして、仏教の「行」に比べ、『イカニPU行はラクだか分かる。』(p.56)とあり、桜沢氏がマクロビオティックを一種の「行」としてとらえていたことがうかがえます。(筆者註:PUとは無双原理のこと)
私は今まで、マクロビオティックというのはもっと厳しくて良いのではないかと思ってきました。食べてもいいよ、なんて言わずに、食べちゃダメッ! と、激しく言ってもらいたい、その方が張り合いが出ると思ってきました。
けれど本書を読んで、仏教の行を目の当たりにし、初めて「うわあ、ここまで厳しいことは私にはできない」と思わされました。マクロビオティックがもしそこまでの厳しさを求める行であれば、私は早々に脱落してしまうでしょう。マクロビオティックが寛容さを持ったもので良かった、もっと厳しくあってほしいなんて、本当の行の厳しさを知らなかったゆえの発想だったのだと思いました。
本書の約半分のページは、以上のような仏僧の話に割かれますが、残りの半分は桜沢氏からの手紙と、人間の発生学(受精から誕生まで)をマクロビオティック的に読み解いた話で構成されます。
桜沢氏の本には珍しく、受精卵や胎児の図が載せられ、どこがどの臓器になって……など解剖学的に説明されているのが新鮮でした。
桜沢如一という人は、仏教から発生学まで本当に様々な本を読む勉強家で、そのすべてに無双原理を当てはめて考えていたのですからさすがマクロビオティックの創始者という感じです。
私が本書を桜沢氏の著作の中で最後に読むことになったのも何かの縁でしょう。「これからも精進しなさい」と桜沢氏に言われたような気がしました。
なにせ読者に対して手厳しいのです。最澄や伝教といった仏教の高僧の、自ら困苦を求めて偉大な業績をうち立てた素晴らしさと比べ、自分(桜沢氏)は劣る。ましてや君たちはなんてていたらくなんだ! という論調です。二人称で「君」と呼びかけられるから、まるで自分に言われているように感じます。
『君は「犬のクソ」「ダンマリ」「ドレイ」と朝から晩までどなられ、五千哩もはなれた私にまだどならせドーヤラ自分は「ドレイ」「不自由人」らしい、位の自覚しかない。ソレすらないのもいる。』(p.20)
読んでいて少しムッとしましたが、いや、ここまで言ってくれる人はそういない、桜沢氏も私たちに向上を強く望むからこそここまで厳しく言ってくれるのだと思い直しました。
本書は、桜沢氏が61歳のときに「伝教大師」という本を読んで初めて「伝教」という僧の生き様を知り、感動して書き上げたもののようです。ですから、「法華経」など、仏教関連の話がたくさん出てきます。そして、仏教の「行」に比べ、『イカニPU行はラクだか分かる。』(p.56)とあり、桜沢氏がマクロビオティックを一種の「行」としてとらえていたことがうかがえます。(筆者註:PUとは無双原理のこと)
私は今まで、マクロビオティックというのはもっと厳しくて良いのではないかと思ってきました。食べてもいいよ、なんて言わずに、食べちゃダメッ! と、激しく言ってもらいたい、その方が張り合いが出ると思ってきました。
けれど本書を読んで、仏教の行を目の当たりにし、初めて「うわあ、ここまで厳しいことは私にはできない」と思わされました。マクロビオティックがもしそこまでの厳しさを求める行であれば、私は早々に脱落してしまうでしょう。マクロビオティックが寛容さを持ったもので良かった、もっと厳しくあってほしいなんて、本当の行の厳しさを知らなかったゆえの発想だったのだと思いました。
本書の約半分のページは、以上のような仏僧の話に割かれますが、残りの半分は桜沢氏からの手紙と、人間の発生学(受精から誕生まで)をマクロビオティック的に読み解いた話で構成されます。
桜沢氏の本には珍しく、受精卵や胎児の図が載せられ、どこがどの臓器になって……など解剖学的に説明されているのが新鮮でした。
桜沢如一という人は、仏教から発生学まで本当に様々な本を読む勉強家で、そのすべてに無双原理を当てはめて考えていたのですからさすがマクロビオティックの創始者という感じです。
私が本書を桜沢氏の著作の中で最後に読むことになったのも何かの縁でしょう。「これからも精進しなさい」と桜沢氏に言われたような気がしました。