だが、体の健康にさえ留意すれば無条件で心が健康になるかと言ったらそんなことはない。
体の調子はそこそこ良くても、心は暗く淀んでいる。そんな状況はいくらだってあり得る。
心と体は、つながっているとは言っても別々のもので、完全に同一ということはない。
たとえば体にとって自然な食事を摂ることで健康を向上させられたとしても、心の状態まで同じくらい上向くわけではない。
確かに体が健康になると精神の"核"となる部分には磨きがかかる。
しかしそれは"心の基底が安定する"というだけであって、心のはたらきにおける高度な部分まで制御しきれるというわけではない。
怒りを抱きやすく攻撃的だったり、自己肯定感が低くくよくよしたり、そんな自分にうんざりしたり。
"中庸"で"穏やか"な食べ物を摂っていれば、"中庸"で"穏やか"な自分になれるのでは?
いいや、いくら良い食べ物を摂ろうとも、精神が自動的に仏のようになるなんて都合のいいことは起こらない。
体の健康を保つために食べ物や運動など様々なことに気を配るのと同じように、心の健康の獲得にも意識的な努力が必要となる。
体がいくら健康でも、心が健康でなければそれは本当の健康とは言えない。
いやむしろ私は、心が健康であることこそが真の健康と呼ぶにふさわしいようにも感じている。
体の健康は先天的な要素も含め不平等な部分があるが、心の健康はたとえ体が病んでいても努力によって手に入れることができるからだ。
心の健康を得るために日々自己を律して修行を積むことは、真の健康への大きな一歩となるだろう。
私は、「マクロビオティックだけで精神修養できるのか」にも書いたように、2004年から精神構造の改革を行ってきた。
心がけ一つで、精神の闇は払われ、清浄さが保たれる。
精神の修行に終わりはない。今でも私は、心を明るく維持できるよう、日常的に様々なことに気をつけて暮らしている。
では具体的に、どのような努力で心の健康を維持しているのか?
私が2004年からおこなってきた精神改革の中でも、特に「修行」と呼ぶにふさわしい……つまり、己を律する努力が必要となるものを次回「悪口を言わない・その1」から、この「心の健康」カテゴリー内で七回にわたって紹介していくつもりだ。