「菜食主義・ベジタリアン」と「マクロビオティック」は、食物の取り方にどんな違いがあるの?
マクロビオティックはベジタリアンとは違うのか?
ベジタリアン(菜食主義者*1)とは、『「健康で生き生きとして力強い人」という意味だが、そのために、肉や魚などの動物性食品を極力食べないようにしている人たちのこと』です。(*2)
ベジタリアンの定義だけ見ると、マクロビオティックを実行している人のあり方と似ているので、「マクロビオティックってつまり菜食主義ってこと?」と思いそうになります。けれど、桜沢如一氏はマクロビオティック(食養法)は菜食法ではないとはっきりおっしゃっています。
『断わっておきますが、食養法は菜食法でも肉食法でも、もちろん禁酒禁煙でもありません。それは、食物の一部分を否定したり、尊重したりするものでもなく、(略)戒律でも規則でも約束でも修養でも学問でもないのです、新しい意味の自然主義家なのです。』
『何を食っても大自然のある限り健康で生きて行ける方法を教えるものです。自然、大自然(神)の与える食物を何でも頂いて、健康に、楽しく生きて行くことのできる実際的な方法なのです。』(*3)
『栄養学にでも、趣味嗜好としてでも、食物にとらわれていたらダメです。何を与えられても、それがはなはだしく不自然なものでない限り、それを食養化して頂くことができるほど、応用が効かなくてはいけません。』(*4)
そして、マクロビオティックの要として以下のことをおっしゃっています。
『原則として、その土地の食物の伝統を尊重すればよいのです』(*5)
つまり、結果に至るまでの出発点や道筋が異なるので、ベジタリアン(菜食主義)の食物の取り方とは「似て非なるもの」になります。
では具体的に、マクロビオティックがベジタリアン(菜食主義)とどう違うか見ていきましょう。
身土不二
上記、桜沢氏の言葉『原則として、その土地の食物の伝統を尊重すればよいのです』は、「身土不二(しんどふじ)」(*)という言葉で表されます。
身土不二とは「自分の生まれ育った土地に実った、季節の食物を食べること」です。
つまり、たとえ野菜であっても、輸入品だったり季節外れなら食べないということです。
そして、植物だけで健康が樹立できるのは確実としながらも(*6)、その土地の伝統であるならば肉食も否定しません。
たとえばエスキモーの人々はアザラシの生肉を食べますが、それは極寒の地という地理的条件で生き抜くための伝統的な食のあり方で、それもまた「身土不二」と言えるのです。
この「身土不二」がまずマクロビオティック独特の考え方で、菜食主義とは異なる点と言えます。
陰陽の考え方(無双原理)
また、マクロビオティックでは宇宙にあるすべてのものが「陰陽」で成り立っていると考えます。これを「無双原理(むそうげんり)」(*)といいます。
そして食品も陰陽で分け、陰にも陽にも偏りすぎない「中庸」(**)の食事ができるように食材を選び、調理します。
中庸を目指す中で、陰陽のバランスが偏っている食材は植物であっても基本的に避けます。トマトやナス、ジャガイモ、バナナがその代表格です。果物も陰性が強すぎるのであまり食べない方が良いとされています。(***)
陰陽で食べ物を選ぶのもマクロビオティックの特徴です。
菜食主義においては、上述した食品(トマトやナス等)は「避けた方が良い」とは考えられていませんから、この点も大きな違いとなります。
**「中庸」について詳しくは理論編「目指すあり方-中庸」参照
***「食材の陰陽」について詳しくは理論編「食物の陰陽と人間の陰陽」参照)
白砂糖が禁忌
マクロビオティックでは肉以上に忌避されるもの、それが白砂糖です。(*)
『獣肉や、砂糖や果実をとる必要はまったくありません。(略)この中でも最も自然に遠い砂糖が最も恐るべき効果を与えます。』(*7)
動物性食品以外でも、精製されたり薬品を添加されたりした不自然なものをマクロビオティックでは避けます。「自然=幸せ、健康」、「不自然=不幸せ、病気」と考えるからです。
菜食主義では、特に「白砂糖を避ける」ということは概念に含まれていないので、ここもマクロビオティックとの相違点となります。
厳格なような、自由なような
以上、マクロビオティックのベジタリアン(菜食主義)とは異なるポイントをあげてみましたが、こうして見るとマクロビオティックは菜食主義に比べある意味では厳格で、ある意味では自由と言えます。
野菜と言えども陰陽や産地によっては避けたり、果物も食べない方が良いとされていたり、「植物なら何でもOK」とはならないところが厳しい点。
しかしながらその厳格さは「必ず守らなければいけない」ものではなく、健康さえ樹立できていればあとは陰陽のバランスを考えながら何でも(肉ですら)好きに食べて良い(*詳しくは素朴な疑問編「人付き合いに支障をきたさないか?」参照)というような自由さも併せ持ったものでもあります。
その厳しさと自由さを自分で考えてうまくコントロールしていくのが、マクロビオティックの面白いところです。
次項:料理が苦手な人のためのマクロビオティック
次の項(「料理が苦手、どうしても面倒なのですが。」)では、「マクロビオティック的な料理を作りたいけれどどうにも料理自体あまり好きではなく面倒だという」方にも実践できるマクロビオティック料理について考えてみます。
*1 小学館『大辞泉』p.2579
*2 鶴田静著 『ベジタリアンの文化誌 (中公文庫)』p.25
*6 桜沢如一著 『東洋医学の哲学』p.89~90
*3,*4,*5,*7 桜沢如一著『食養人生読本』p.94,95)