自分を傷つけないために相手を傷つけないという観点でおこなっている修行法が、「悪口を言わない」、「好きなものについて語る」(いやなものについては語らない)ということだった。
だが、相手を傷つけさえしなければ自分が傷つかないかと言ったらそうではない。
自分が自分を傷つけること、すなわち自分への悪口も言わないようにしなければいけない。
卑下しないということだ。
自分を貶めることで相手を相対的に優位に立たせようとするのは、相手にとっても失礼なことだ。
なぜなら、相手と自分はつながっている。自分をあざけるのは、相手をあざけるのと同じなのだ。
だから私は決して、自分を悪く言ったりしない。
傲慢になり、実際の自分よりも自分をよく見せたり、闇雲に自画自賛するというのではない。褒めなくてもいい。悪く言わないのだ。
私は以前、「病気を受け入れる」というコラムに書いた。
『最悪だった。夢も希望も消え去り、真っ暗闇に落とされた気分だった。けれどそんなさまよう自分を、私は絶対に否定したくなかった。』
客観的に見れば、病気になったのは大いなる失敗だった。何をやっているのかと、責めようと思えばいくらでも責められた。だが私には「卑下しない」という信念があったから、絶対に、意地でも自分を悪く言うものかと歯を食いしばった。
自分の心は、案外、自分の言葉をまっすぐに受け取ってしまう。冗談が通じない。自分を低く言えば、「ああ、自分ってそんなにダメなのね」と心がしょんぼりして、本当に言った通りの人間になってしまう。
だからふざけてでも、自分に対し失礼なことを言ってはいけない。