私はわりと肩に力の入った人間である。
けっこう思い詰めるし、ド真面目、超シリアス、いつも大抵キリッとしていて、自分にも他人にも厳しめ。
完璧主義の傾向があり、理想や目標に向かって努力し、その達成を目指す。
そういう、目の下にクマを作りながらぜえぜえするような鬼気迫った感じが私の人生の常であったし、半ば、「そうでなければいけない」とも思っていた。
もうダメだ
ただ、そうやっていつも「頑張らなきゃ!!」と全身に力を込めた生活をしていると、思ったような結果が出なかったときが辛いのである。
もうダメだ!! おしまいだ!!!
と、布団をひっかぶって現実逃避し、寝込みたくなる。
そんなときは、自分の中のもう一人の自分が「またここから頑張ろうな」と励ましてくれて、それで気を取り直すのであるが、けっこうこの「もうダメだ!」とガーンと来る瞬間が苦手で、どうにか克服したいと思っていた。
能天気になれ
そんなときに知ったのが「能天気(アホ)になれ」という言葉。
どんなことも、考えすぎず、明るく受け流せれば楽になる。
そういう意味合いらしく、良いなと思ったが、「能天気になる」とは、自分の性向とは真逆のようで、一体、どうやったら能天気になんてなれるのか? と頭を抱えた。
私は、能天気とは正反対の、キリッとした雰囲気が売りで、キリキリしているからこそ努力もできてきたような気がしている。
それが、そんな、頭のネジを一本外したような状態になったとしたら、どうやって頑張りをきかせるの?
能天気になって楽になりたいけれど、能天気になるのが怖い。
そう思って、「もうダメだ!」「頑張ろう、頑張らなきゃ」を繰り返し続けていた。
疲れ果てる
しかし。
挫(くじ)けて、転んで、絶望して自暴自棄になりかかって、自分を励まして立ち直る……という経験を延々と、数百回は味わって、これからもそれが繰り返されるのだろうと思えたある日。
私は、疲れ果てたのである。
望まぬ結果を見たときに、「もうダメだ。」と、絶望することに疲れた。
現実から逃げたくなって布団をひっかぶりたくなることにも疲れた。
いい加減、ウザい。
生活できていることの奇跡
そして思ったのだ。
もう、理想の結果なんて出なくてもいいじゃん。一応、無事に、一日生活できたんだよ? それでいいじゃん。
むしろ、この、目指す結果が出せないことの多い現状で、よく生活できているよね??
それって奇跡じゃない?
ああ本当だ、思えば奇跡だ、よく生活できているよ。もうそれで十分だ。
楽しくなる
とりあえず、生活できている。それでいいや。ありがてえや。
もうどうでもいい、生きていけりゃあそれでいいやポヨオオオオン!!
と、私は、絶望することを放棄した。
すると、妙に楽しくなってきたのだ。
結果がたとえ出なくても、生活できている、そのことだけで嬉しいのだ。
夕飯にありつけて、風呂に入り、布団で眠れる、そんな生活を送れていること自体が楽しいのだ。
思うようにいかないと絶望していたときも、今と同じように、ちゃんと生活はできていた。
それなのにそこを見ようともしないで、「もうダメだ!」と騒いでいたなんて、もったいないことをしたと思った。
崖っぷちじゃなかった
ずっと、崖っぷちで、落ちるか落ちないかの戦いを繰り広げていると思っていた。
だがそれは幻覚で、本当は、最初から花畑のど真ん中にいたのだとわかった。
どこにも落ちようのない花畑で、「落ちるーー!!」と手足をばたつかせ、幻覚と戦っていた私。
端から見れば狂気だろうな。一体、何をしていたんだろう。
ふと悪夢から目覚めた気分だった。
能天気になれたのか
「もう、なんだっていい! とりあえず生活できるならそれでいいや、まあ大丈夫、なんとかなるだろうポヨーン」
というこの心境。
これが、能天気というものだろうか?
私も、少しは良い意味での能天気に近づけただろうか?
私は、「能天気」と「勤勉」は両立できないと思っていて、だからこそ能天気になることに恐怖心があったのだが、今、「ぽよーん」という心境になって思うのは、「目指すべきは”勤勉な能天気”なのかもしれない」ということ。
するべき努力はする。でも、思い詰めないで、その日、生きられたんならそれで良しというおおらかさと図太さを持つ。
どうせ、深刻になったって、ならなくたって、現状は変わらないのだ。
だったらなるべく明るい気持ちでいた方が得だ。
明るく、リラックスしていた方が、ガチガチにならずよく動けて、結果的に問題解決も早まるような気もする。
能天気目指して
元々、物事を深刻に考えるタチの私が、そう簡単に能天気になりきれるかどうか、難しいところもあるかもしれないが、能天気の一端を垣間見た今、私は、できるだけ能天気を目指したいと思っている。
ただ生きていることを喜びたい。ぽよよよーんと、楽しく、いつも舞い上がっていたい。
目の前のことに明るく嬉々として取り組みたい。
それじゃなきゃ、せっかく生きているのに、もったいない。
どんなことがあっても、それが崖っぷちに感じても、本当は、自分がいるのは常に花畑。
それを忘れずに、日々を大切に生きていきたい。