マクロビオティックには「なるべく食べない方が良い」とされるものがある。だが私はこれをあまり制限と感じたことがない。むしろ解放だと思うことがある。
たとえば果物。陰性が強く、体を緩めるのでマクロビオティックではあまりすすめられていない。
果物からの解放
果物は、悪く言われるのをほとんど聞いたことがない。悪いどころか、「朝のフルーツは金」なんて言葉もあるくらいで、一般的には定期的に食べることが望ましいとされている。
だが私にはその一般常識が少し苦痛だった。第一、果物は高価だ。毎日食卓に上らせるには経済的に厳しすぎる。それに、そんなに食べたいとも思わない。でも「朝のフルーツは金」? だったら食べなければ。食べた方が体に良いんでしょう? そう思って、毎日りんごを半分食べるよう努力したりしていた。
そんなときマクロビオティックに出会った。果物はあまり食べない方が良いという。まったく食べなくても問題ないという。なあんだ、そうだったの? ヤッター。私は喜んで、足にからみついていた果物という鎖を外し、駆け出した。
水からの解放
もう一つは水。水は、たくさん飲んだ方が体内が綺麗になって良いという話をよく聞いていた。だから頑張って飲もうとするのだが、どうしても、一日に1リットル以上飲めない。1リットルも飲んだ日には、お腹がガバガバで全身の毛穴が詰まり、なんとも言えないだるさと体の重さに襲われた。
それでも、芸能人が「一日に2リットル飲んでいる」なんてテレビで言っているのを聞くと、「すごいなあ、私はどうして飲めないんだろう」と自分を残念に思ったりしていた。
ここでマクロビオティックの登場だ。マクロビオティックでは、腎臓を痛めるため水は飲みすぎてはいけないことになっている。「喉が渇いているとき以外はなるべく飲むな」くらいの勢いだ。これが私には嬉しかった。水、飲まなくてもいいんだ~!
私は食物アレルギーの除去食を実行するため、学校給食では牛乳を一人だけ取っていなかった。(*1)だから小学生のときから何も飲まずに食事するのに慣れており、マクロビオティックの教えがとてもマッチした。
水の多飲強制からも解放され、晴れ晴れした。
(マクロビオティックにおける水分摂取量について詳しくはマクロビオティックQ&A実践編「マクロビオティック実践における留意点は? 水分を摂りすぎない」参照)
食べなくても健康でいられる
このように、マクロビオティックの制限が、逆に解放をもたらしてくれた例が私には多い。「食べてはいけない」のではなく、「食べなくても健康でいられるんだよ」というのがいいではないか。
現代社会においては、意外と、「これを食べないと健康に生きていけない」と言われているものが多い。魚も、肉も、果物も、牛乳も、卵も、バランス良く何でも食べましょうとくる。それがかえって負担なのだ。そんなに食べていられない。
玄米と野菜と海藻と豆だけでいいんだよと言われたときの安堵感。「なあんだ、それだけでも健康に生きていけるのか」とほっとする。
外国のものでも、季節外れのものでも、何でもかんでも手に入る時代だからこそ、何を食べたら良いかわからなくなる。
テーブルの上にありとあらゆる食べ物をのせられても、その中から一体何を選んだら良いのか、最低限何を選ばなければいけないのか迷ってしまう。
そのごちゃごちゃのテーブルに、マクロビオティックはとても狭い枠で食品を囲ってくれる。この中にある物を食べてさえいれば大丈夫ですよ。他のものは、食べたければ食べてもいいけれど、食べなくても平気ですよと教えてくれる。
「それなら話は早いですなあ」と、私は安心して枠の中から食品を選ぶ。お腹に余裕があれば、趣味で、枠外の物に手を伸ばすこともある。自由で、楽しいあり方ではないか?
「枠」は制限ではない。テーブルの上にあるものを全部食べろという強迫観念からの解放装置であり、「食の答え」なのだ。