「人のために自分を役立てるべし」。
よく聞く言葉だ。世のため、人のため。人間は本来、自分の力を世の中に役立てるために生まれてきたし、そういう奉仕の心を大事に生きると自分も成長できるという。
なるほど。だったら私も実践していこうじゃないか。そう心に決めたのは五年前。2005年のことだ。
だが、そこから私の懊悩が始まった。
人のためになることって、何?
手始めにやってみたのは募金だ。難病を治すため海外で手術する必要がある人に、渡航費用として少額ながら郵便振込で募金をした。
これで少しは役に立てただろう。だが、なんだかすっきりしない。
よほどの金持ちならいざ知らず、私ができる募金など限度がある。募金できる金が尽きれば人の役に立てないのか? いや、そんなことはないはずだ。
じゃあ、募金以外に何ができる?
ごみ拾いなどのボランティア活動? それも立派だが、年に一度ほど参加するだけで終わってしまいそうだ。
道に迷っている人に行き方を教えてあげる? そんなことはいくらだってするが、道に迷っている人に遭遇する機会は滅多にない。
お年寄りに席を譲る? ……あまり、電車やバスに乗らないし……。
募金、ボランティア、人助け。どれも、私には満足にできそうになかった。
人の役に立つって、案外難しいんだな。自分の無力さを感じ、歯がゆかった。
しかし、昨年の冬。聞くと元気が出る曲があって、それを聞きながら歌っていたとき。
歌詞が心に響いて、感動して泣けてきた。歌いながら一人で泣いた。パワーがあふれてくる。
すごい、こんなに力をくれて。元気づけてくれて。作詞家、作曲家、歌手、この歌が私に届くまでに携わってくれた人すべて、皆、ありがとう!
感謝の気持ちで満ちた。そして気づいた。そうか、こういう風に、人を明るい気持ちにさせることも「人のためになっている」と言える!
そうだ。なにか、大きなことができなくてもいい。人の気持ちを励ましたり、勇気づけたり、楽しませたり、ちょっとでも明るくさせたりできれば、十分に人の役に立てている。
笑顔一つ、向けるだけでいい。優しい言葉一つ、かけてあげられればいい。明るい話題を一つ、提供するだけでもいい。
笑顔も言葉も出なくても、ただ一生懸命生きるだけでもいい。必死に生きる人間は、ただそれだけで、周りの人間を励ますから。
そう考えれば、自分を人のために役立てる機会は数限りなくある。
お金なんてなくたって、何の力もなくたって、人のためにできることはたくさんある。
数年かけてこの答えを見つけた今、私は、人類のほぼすべてが、人のために自分の力を役立てて生きているのだと思える。