(その5からの続き)
大学卒業後に実家に戻った私は、一度作ったレシピを整理して保存しておく場として「マクロビオティック」の名を冠したブログを開設した。
だが「マクロビオティック」と名乗っているわりに、私はマクロビオティックのことを知らなかった。
肉・卵・牛乳の除去食であればまあマクロビオティックと言っても間違いではなかろうと、詳細な裏付けもとらずに決めつけていた。
マクロビオティックを知らずにマクロビオティックを名乗る
母には「きちんと調べた方が良いのではないか」と言われたが、真剣には取り合わなかった。自分のやっていることが正しい、わざわざ調べる必要なんてないと思っていた。
そのくらい、マクロビオティックというものを単純に考えていた。
添加物や動物性のものを避けさえすれば立派なマクロビオティックなのだと、なぜか自信を持っていた。
マクロビオティックを初めて調べる
しかしレシピが増えてくるうちに、「マクロビオティック料理」というブログタイトルに重みを感じるようになった。
私はマクロビオティック料理だと思って作っているし、実際にそう遠くはないだろうけれど、もし本当にマクロビオティック料理を知りたいと思っている人が私のサイトを見て「これがマクロビオティック料理なんだ」と納得してしまったら責任が持てるだろうか?
私はおそるおそる、インターネットを使ってマクロビオティックについて調べ始めた。玄米を主食とする。添加物を避ける。肉、卵、牛乳は摂らない。やはり、想定の範囲内だ。そう思ったとき、予想もしなかった言葉を見つけた。
砂糖を摂らない。
私はうろたえた。砂糖がダメだって? それはどういうことだ?
私は粗糖を料理によく使っていた。煮物にも、カレーの隠し味にも使っていて、まったく罪悪感がなかった。
なぜ砂糖がいけない? 砂糖を使った料理は美味しいじゃないか!
砂糖を否定されたショック
意味がわからなかった。それまでの自分を全否定されたようで、悲しくて、料理を作りながら涙が出た。
私がマクロビオティックだと思ってやっていたことは、マクロビオティックではなかった!
別に、マクロビオティックではないからと言って、除去食であることに変わりはない。
だからそう嘆くこともないのだが、私は私の料理方法に自信があった。一番体に良いやり方を知っていると思っていた。だから、いかにも健康的な響きのある「マクロビオティック」と肩を並べるくらいのことをしていると思いこんでいた。
それが、自分のやっていたことは、マクロビオティックでは受け入れられないことだったのか?
恥ずかしかった。悔しかった。同時に、マクロビオティックというものに対して腹が立った。
私は、肉も、卵も、牛乳も摂れない体で生まれてきた。それは、現代の食においては十分すぎるくらいの制限だった。その上、砂糖まで私から奪おうというのか。
なんたる息苦しさ。砂糖のどこがダメなんだ? 何を根拠に、そんな制限を加えるのだ。なぜいけないのか、はっきり説明しろ!
創始者は誰だ? 桜沢如一? よし、桜沢さん。あなたに聞こうじゃないか。なぜ、マクロビオティックでは砂糖を避けるのか。
私は、マクロビオティックの源流である桜沢如一氏の著作を次から次へ読み始めた。マクロビオティックの真実を知るために。