(その4からの続き)
大学卒業後は一度実家に戻ることが決まっていた。家に帰れば、母が食事の支度をしてくれる。自炊の日々ももうじき終わりだ。
ゴールテープを目前にしたマラソンランナーのように、私はただよろよろと歩を進めた。体に良いとか悪いとか考えるのも放棄して、レトルトのカレーをご飯にかけて食べ、腹を満たしたりしていた。
そして倒れ込むようにして、私は北海道の実家へと戻った。もうこれで、料理をしなくていいんだ! 洗い物もしなくていいんだ!
解放感でいっぱいだった。
最初は母の手料理を食べる
母も、私の期待に応えるかのように最初は頑張ってくれた。
ごはんを作ってくれて、私がテーブルに放置した食器も下げて洗ってくれた。私はそこに甘んじ、なんら疑問を抱くこともなかった。
私は料理が苦手なのだ。得意な洗濯や風呂掃除、ゴミ出しをやる代わりに、台所関連は母に任せたいと思っていた。
自分で買い物をしなくなったのでジャンクフードやできあいの惣菜も食べずに済むようになり、北海道の良い自然環境も相まってか、大学時代に一時悪化していた皮膚症状もおさまり楽になった。
母が作ってくれた料理を、何も考えずに食べて健康を保つ。そんな気楽な毎日が続いていくのだろうとのんきに構えていた。
自分で作らなければいけなくなる
だが、母の仕事は、私が高校生だった頃より忙しくなっていた。
徐々に、母が食事の準備をととのえてくれる頻度が減った。
苦手なのに、面倒なのに、どうして私が作らなければいけないの? そう不満を抱きながらも、私が台所に立つ機会が増えた。自分が作らなければ食べるものがないのだ。
最初はイライラして、にんじんの皮を乱暴にむいて八つ当たりしたりしていた。どうして私が、という思いが拭えなかった。
けれどそのうち、自分の食べるものを自分で作ることにそう抵抗を感じなくなってきた。何せ、大学時代の台所に比べ、実家の台所は格段に広い。調理にまつわるストレスがかなり軽減されたのだ。
味噌汁しか作らなかったのが、炒め物も作るようになり、味つけにも探求心が芽生えてきてインターネットでレシピを調べるようにもなった。プリントアウトしたレシピが台所に散乱し始めたのもこの頃だ。
そのうち、お気に入りの味つけが出てくる。あのときのレシピでもう一度作りたいな。そう思ったときに、過去にプリントアウトして散らかっているレシピからお目当てのものを探すのは至難の業だった。見つけだしても、水に濡れて字がにじんだりゴベゴベになったりしている。
こんなバラバラでは、管理するのが大変で仕方ない。そうだ、じゃあ、一度作ったレシピをインターネットに記録しておけばいいのではないか? そうすれば水にも濡れないし、なくすこともないし、いつでも見られる。
私は急遽、レシピ記録用のブログを作ることにした。ブログにはタイトルをつけなければいけない。どんな名前にしようか……。
私の作る料理は肉、卵、牛乳の除去食。つまり、それって「マクロビオティック」という分野の料理なのではないか?
マクロビオティックって、響きがイマドキな感じだし、注目を集めるキーワードかもしれない。よし、「マクロビオティック料理のレシピ」ということにしよう。
こうしてできたのが、現在のサイトの前身だ。「マクロビオティック」という言葉をためらいもなくタイトルに掲げた。
この段階で、私の「マクロビオティック」への理解は「動物性のものを食べないのだろう」くらい。
その名前だけをどこかで聞いたことがあって、なんとなく菜食のイメージ……そんなレベルだった。
それなのにブログのタイトルに「マクロビオティック」と銘打ってしまうなんて早急だったかと今は思うが、その時点では自分のやっていることがマクロビオティックだと根拠もなく思いこんでいた。
その思いこみもやがて覆され、ショックを受けることになる。