「銀座吉水(よしみず)」という旅館の食事がとても素材にこだわったものであるとテレビ番組で知った母から、「興味があるから食べに行ってみてくれ」と熱烈にリクエストを受けた。
テレビ好きの母は、よくテレビからこのような「体に良さそうな店」の情報をキャッチする。私がまったく知らないような東京の店の名を口にし、「行ってみて。食べてみて」と言うのだから、「どうして北海道に住んでいるのにそんな情報を知っているのだ」と毎度驚く。
銀座吉水は飲食店ではないから、ふらりと行って食べられるというわけではない。ランチの営業は火曜、水曜のみで、要予約である。料金は一律2000円。
銀座はあまり近くないから、「今度行くね」とのらりくらりしていたら、「吉水にはいつ行くの? もう予約した?」と電話するたびに母からキラキラした声で言われた。もう、こうなったら行くしかないと腹を決め、予約の電話を入れたのだった。
予約の電話の段階で、食べられない食材はあるかと聞かれた。基本的に、出てきたものは何でも食べたいと思っていたが、『乳がんと牛乳』を読んで牛乳にはかなりの抵抗感が生じていたため、「乳製品は食べられない」と伝えた。
当日、電車を乗り継ぎ30分あまり……。銀座に降り立ち、地図を頼りに吉水へ向かった。
引き戸を開けようとしたとき、中からお年を召したご婦人が出ていらした。「お先に失礼いたします」とにっこり慇懃に言われ、「え、あ、どうも、ありがとうございます」とかなりとんちんかんな受け答えをしてしまった。
なんだ? この上品マダムは。さすが銀座??
中に入ってまたびっくり。玄関に、ずらりと客の靴が並んでいる。てっきり土足で上がるのだと思っていたら違うらしい。ここで脱いで、スリッパに履き替えるのだ。
ランチの営業開始時間になると、従業員がエレベーターで降りてきて「お食事のお客様どうぞ」と案内を始めた。勝手のわからないことだらけで戸惑ったが、とりあえず言われるがままにエレベーターに乗り込んだ。
二階がレストランである。スリッパ履きだから、どこかの家にでも行ったような感覚だ。通された席に座ると、ほうじ茶が運ばれてきた。
熱々のほうじ茶が、朝から飲まず食わずだった胃にじんわりとしみわたり、ほっと人心地がつく。
次に運ばれてきたのは、おかずの盛り合わせだった。
まず箸をつけたのは温かな大学芋(写真左下)。ほくほくと柔らかくて、うっすら絡んだ飴も優しい味で、とても美味しい。
銀座吉水では無農薬、無化学肥料栽培の野菜を使っているとのことだったから、このさつまいももきっとそうなのだろう。ありがたみも倍増である。
油揚げとふき、大豆の炊き合わせ(写真左上)は、醤油とだしと酒を基本にしたような、正統派家庭料理の味である。ふきがシャキシャキしていて、香り高い。ときおり顔をのぞかせる粒山椒が、ピリッとアクセントになっている。
きゅうりと大根のなます(写真右上)は、とてもさっぱりとした味わい。だが、シンプルなようでいてちゃんと手がかけられているのがわかる。きゅうりは、おそらく、板ずりしたものに醤油をなじませ、ごま油を絡めてあるのだろう。中華風の浅漬けといった感じだった。薄切りの生姜がくっついていたのが細やかだ。
里芋と昆布巻きも(写真右下)、とても良い具合に炊きあがっていた。特に里芋は、どこまでも滑らかでほくほく。いくらでも食べられてしまいそうだった。
続いて運ばれてきたのは「おぼろ豆腐」。おからを取り除かない豆腐なのだという。
スプーンですくって食べたが、冷たくて、滑らかで、デザートのような舌触りである。大豆のふくよかな香りがとても心地よい。乳製品を食べられる人は、この豆腐の代わりにヨーグルトがつくらしかった。
次はいよいよメインディッシュなわけだが、ここで私は衝撃を受けざるを得なかった。
なんと! これは、いかにも「肉」! である! 出てきたものは何でも食べたいと思っていたものの、ここまで肉肉しているものが来るとはちょっと予想していなかった。これならば肉も食べられないと最初に言っておくべきだったかなとちらりと思った。
だが! どんなものでも食養化して食べることができなければダメですと桜沢氏も言っていたではないか。ここは、この肉をいかに食養化して食べられるか、マクロビオティック実践者としての腕の見せ所なのだ。
それにこの肉、祝島(いわいじま)という瀬戸内海の小島で放し飼いされている豚の肉なのだという。島の人たちが残した野菜くずを食べている、健康的な豚なのだ。
化学的に汚染されていない、野生に近い豚肉を、食養化=よく噛んで食べる! うん、これなら合格点だ!
塩、胡椒、醤油のシンプルな味付けで焼かれた肉は、ぎゅっと固い。よく運動しているから引き締まるのだという。
野性的な豚だけあって食べ応えも野性的だ。豚肉特有の、コクのあるバターのような香りと深い味わいを楽しみながら、私はよく噛んで食べた。
それにしてもおかずの連続で、そろそろご飯が欲しいなと思っていた頃、ちょうどご飯が運ばれてきた。
有機栽培の三分づきご飯である。圧力鍋で炊いているのですか? と尋ねたところ「いいえ、お恥ずかしながら炊飯器です」との答えが返ってきたが、いやいや、ふっくら美味しく炊けていた。
味噌汁は昆布だし。具はきゃべつと玉ねぎ。ヴィヴァルディの曲を聴かせながら三年熟成させた味噌を使っているという。田舎味噌のしっかりとした風味が美味しく、熱々で胃から体全体が温まるようだった。
デザートははっさく。皮と実の境に包丁が入れられていて食べやすくなっていた。シャキシャキと繊維が豊富で甘酸っぱく、口の中がさっぱりした。
さてさて。めくるめく料理の数々を味わい、最後にほうじ茶をもう一杯。
来たときは、飲まず食わずだったせいで調子が出ず、「……もう帰りたい」と電車の中でぐったりしていたのに、吉水の清らかなランチを食べてすっかり元気いっぱいになった。
力がみなぎってきたど~!
さあ~て、せっかく銀座まで来たのだから、デパートにでも寄ってみるかあ~! と、意気揚々と松屋に乗り込み、妹への土産として地下のパン屋でコロッケサンドを買ったりしたのだった。
(追記:残念ながら、銀座吉水は2011年6月に閉店しました。)