私の中には「欲望」が住んでいる。こいつは、マクロビオティック開始当初、ずいぶんと私を手こずらせてくれた。
7号食の実践で、それまで週に二回は食べていたあんこたっぷりのおやきを取り上げたときの暴れっぷり。
「食わせろ!」と牙を剥く欲望を後ろから必死に羽交い締めにし、「ダメだ、今食べたら7号食を実践したと言えなくなる。絶対にダメだ!」と怒鳴りつけた。
死闘を繰り広げた7号食実践の四日間で欲望はかなりシュンとおとなしくなり、ほっと安心したのもつかの間。ちょっとくらい大丈夫だろうと油断して白砂糖入りのアルコールを飲んだら、見事に欲望はその息を吹き返した。
うわあしまった、欲望の目を覚まさせてしまった。慌ててムチで打ち据えるが、そう簡単に欲望は言うことを聞かない。「ダメだって言ってるだろ!」……私は非力の調教師だった。
だが、そんな日々を送ること二年。頑丈なオリに閉じこめた欲望は、中で座禅を組んで、すっかり改心したかのように目を閉じている。
私は最近、そんな欲望の姿を見て、そっとオリの鍵を外した。
いいよ、好きにしても。いつも言うこと聞いてくれてストレスたまってるんじゃない? たまには食べたっていいんだよ、肉だって砂糖だって……。
片目を開けてじろりと私を見、また目を閉じてしまう欲望にしびれを切らせ、私はオリの扉を開け放つ。
ほら、どうした、お前らしくもない。いいんだ、出て行けよ、たまにはこっちが言うこと聞くよ。
私はフライドチキンや缶チューハイ、ハンバーガーを山盛りにしてオリの中に入り、欲望の目の前に置いた。好物だろう? いいよ、どうぞ。お前はよく頑張ってくれた。ご褒美だ。
だが欲望は黙って首を振る。「今はいらない。もし必要になれば言う。だが、今はいい」
欲望よ……。私はすっかり感動して欲望の手を取った。お前、ずいぶん変わったんだな! あの荒くれ者だったお前がここまでの理性を身につけるとは、信じられないよ。すごいよ。わかった、もうお前を閉じこめるのはやめだ。
私はオリを撤去し、欲望が住みやすいように周りに花を植えたり美しい音楽を流したりした。相変わらず欲望は、そんな環境の変化に身じろぎもせず、静かに座禅を組んでいる。
荘厳ささえ漂わせ始めた欲望の姿を陰から見て、私の心に欲望への信頼が芽生えた。
今のお前なら信用できるよ。今のお前が欲しがるものなら、喜んで差し出せるよ。いつでも言ってくれよな、欲望よ。ジャンクフードだろうがケーキだろうが、いくらだって用意してやれるよ。そんなものであふれかえってるんだ、この東京って街は……。
私の独り言が聞こえたのだろうか、欲望が少しだけ口の端を上げて笑った。
ああ欲望よ、私の相棒、欲望! お前はなんて素敵なヤツになったんだ。
私はもう、お前を調教する必要などないな。調教師は今日限り廃業だ!
これからは私の片腕となって、ともに人生を歩んでほしい。愛してるぜ、欲望!