マクロビオティックは偉そうだ。信者まで集めて一体何様のつもりなのか。マクロビオティックはそんなに偉いのか。
そんな疑問の声を聞いた。
「信者」という表現には笑ったが、いや確かに、マクロビオティックというものを客観的に見たとき、ひとところに集まってせっせとその理論や調理法を学んでいる人々の姿が「信者」と見えてもおかしくない。
だが、そこにマクロビオティックの姿を見出すのは正しいとは言えない。
見る方向が違う。
マクロビオティックを、組織や団体の中にだけ見つけようとするから、そういう嫌悪感が生まれるのだ。
「マクロビオティック=普及団体」ではない。
マクロビオティックは真理そのもの。
真理を書籍等の形で教え伝えるのが普及団体であり、その恩恵を受けているのがマクロビオティック実践者であるだけだ。
太陽の光がマクロビオティックとするならば、太陽光発電機が普及団体で、その電気を使って湯をわかしているのがマクロビオティック実践者と言えるだろうか。
太陽を論じるのに、太陽光発電機に注目しても仕方あるまい。見るべきは太陽。マクロビオティックそのものだ。
偉そう、と感じてしまうのは、マクロビオティックを間接的にしか見ていないから。実践者や、教えるための組織だけを見て、マクロビオティックがわかるわけがない。
そんな斜に構えないで、反発心を覚えるのなら、創始者桜沢如一氏の本を一冊でも買って読んでほしいと思う。
創始者と一対一で、同等に議論をすれば良い。そうして、マクロビオティックの本当の姿を自分の心で直接感じたらいいと思う。
体当たりもしないで、勉強も実践もしないで、うじうじと批判の目だけ注ぐのはもったいない。「偉そう」とイヤな感じを受けるくらい、マクロビオティックのことが気になっているのだから、団体など通さず独学してしまえばいい。
意外と惚れ込んでしまうかもしれないよ。