「マクロビオティックは苦しいか?」でも書いたように、私は、 マクロビオティックの教えに疑問を抱く点があれば遠慮なく反発し、納得のいくまで実験したり考えたりしていたため、「自分の考えでもないことを無理に押しつけられてやらされている」という苦しみを味わうことはなかった。
だが、マクロビオティックを実践する上で、「正しい食」を守ろうとするのにはかなりの苦労がともなった!
一番大変だったのは、それまで平気で食べていたスナック菓子から離れること。好物だったあんこたっぷりのおやきや大福をやめるのにも、身悶えるほどの我慢を必要とした。
一年十ヶ月かけて、スナック菓子、洋菓子、和菓子、あらゆるお菓子類を一切食べなくても平気でいられる自分になったが、ここまで来るのに必要だったのは「努力、忍耐、根性」。
失敗しても、「なにくそ!」と立ち上がり、食べない努力を続ける。ときに誘惑されて辛いけれど耐える。食べずにいられる期間を根性で延ばす。また失敗する。その繰り返しだった。
けれどそういう地道な苦労があったからこそ、お菓子への執着のない、とても楽で自由な境地に行けたと思っている。
何事も、極めようと思えば最初は苦労するのが当然なのではないか? 学校の勉強だってそうだろう。初めからテストで満点が取れるわけがない。「努力、忍耐、根性」で、コツコツと頑張って、ようやく得られるのが満点ではないか?
「陰あれば陽」。これが宇宙の法則だ。苦労があるから楽がある。楽をしたいなら苦労も背負う。ならばマクロビオティックも、「楽しい」ばかりを追い求めるわけにはいかないとわかるだろう。
楽しくなるにはまず苦労!
好きなものを好きに食べるというわけにはいかなくなるのだから、最初は辛くて当然!
マクロビオティックのどこか厳格で難しそうなイメージを払拭するためだろうか、やけに「楽しい」ということが最近は強調されているような気がするが、「へえ、マクロビオティックって楽しいんだ!」と思ってわくわくとマクロビオティックに取り組んだ人が、思わぬ苦労にぶち当たって「話が違う!」と落胆しやしないかと私は心配している。
だから初めに言っておきたい。マクロビオティック実践には、自己を律する意思の力が強く要求され、誘惑に耐えて禁忌食を食べずにこらえなければいけない場面も多いと。
禁止されているものなど一切ない、絶対に守らなければいけないルールなどない。それは真実だが、最初からそんなことばかり言って自分に甘くいると、いつまでも禁忌食への執着は断ち切れない。
「執着のなくなった状態でたまに楽しみのために禁忌食を食べる」のと、「執着に縛られて欲望に負けて禁忌食を食べる」のとでは、見た目は同じでも質がまったく違う。
マクロビオティック実践者が目指さなければいけないのは前者。そういう状態を手に入れるためには、「我慢」の時期が長く続くことを覚えておいた方がいい。
ただし、もちろん苦しいだけで終わりはしない。冬が春になるように、陰は陽をはらみ、やがて陽に変わりゆくのだから。
苦しみを抜け、執着を断ち切ることに成功したあかつきには、それまで想像もできなかったような解放された世界が待っている。
肉だろうがお菓子だろうが、食べなくて平気でいられるのだから「我慢する」ということがなくなる。この、我慢の一切いらない境地というのは、思った以上に気持ちがいい。
オモテ大なればウラもまた大なり。苦しみ深ければ喜びもまた高し。
無双原理哲学を、他ならぬマクロビオティック実践によって体感する楽しさをぜひ味わっていただきたい。