マクロビオティックを実践していれば、失敗はつきものだ。
失敗しようと思ってするのではない。心はいつだって気高い。
自己を完全に律した高僧のように、食に対して執着なく、体を正しく養うための食を尊べる。そんなストイックな態度が私の理想だ。
だが、理想を掲げながらも、まだまだ修行中の身。「このくらい平気だろう」という、自分の判断に対する自信過剰さが、ときに大きな失敗を招く。
夜遅く食べ過ぎて翌日胃もたれする。揚げ物を限度を超えて食べて吐き気を催す。
失敗を犯したときは、一瞬、その事実を認めたくなくてうろたえる。こんなのは嘘だ。また揚げ物を食べ過ぎたというのか? そんなはずはない。過去に、同じ失敗で吐きそうになって苦しんだとき、もう揚げ物を食べ過ぎるようなマネはしないと心に誓ったではないか……。
けれど失敗は失敗。重たい胃を抱え、自分の判断の誤りを噛みしめる。……またやってしまったのか。私も懲りないヤツだ……。
だが、自己憐憫にひたったところで進歩はない。「転んでもタダでは起きあがらない」の精神が大切なのだ。もう二度と同じ間違いを繰り返さないように、今回の失敗を分析する。
前回は、一日に揚げ物を二度食べて失敗した。今回は一度だったから大丈夫だと思っていたけれど、一度でも大量に食べれば結果は同じなのだ。
だったらどうしたら良いか? 今後は、揚げ物は一日に一度、少量のみ食べれば良い。
教訓を深く胸に刻み、私は立ち上がる。失敗からは多くを学べる。失敗のたび、こうして自分に合った食べ方を発見していくのだ。
失敗はしたくない。理想通りに、ただひたすら立派に、向上の道を歩みたい。
けれどどうしたってつまづく。転ぶ。怪我をする。情けなくて涙も出る。
それでいいのだ! 失敗するからこそ向上があるのだ。転ばなければ見つけられない、足元に咲く小さな花もある。
若いときの苦労は買ってでもせよと言うではないか。マクロビオティックも同じだ。マクロビオティックを始めて間もない頃の苦労は、買ってでもせよ……。
失敗して、失敗して、熟達してゆく。
実際、私の失敗の内容は格段にその質が上がっている。昔は、「スナック菓子を、良くないとわかりながらも我慢できずつい食べちゃった」とか、そんな感じだった。
けれど今は、食べているもの自体には問題がなく、その食べ方で失敗する段階に入っている。
数学のテストで、「足し算を間違ってしまった」と嘆くのと「微分を間違ってしまった」と嘆くのの違いとでも言おうか。
つまり全体的に実践のレベルは上がっているのだ。
だから、失敗は恐るるに足らず。ちょっと落ち込むけれど、なに、これも向上への道。諦めない、へこたれない、食らいつく。
マクロビオティックはド根性なのだ!