『「チャヤマクロビオティックレストラン」探訪記』、『「パティスリーシンプルモダンマクロビオティック」探訪記』と、二回連続でマクロビオティックグルメレビューをお送りしたが、実は、この二つは新たにレビューコンテンツを立ち上げてその中に入れるつもりであった。
せっかく東京に来たのだ。東京にはマクロビオティック料理を食べられる店がある。だったら、それらの店を食べ歩き、感想を書こう。その情報をまとめてコンテンツにすれば、誰かの役に立てることもあるかもしれない。そう思っていた。
だが、いざ店の下調べをして「行こうかな」という段になると、抵抗感が生じた。
マクロビオティックは、家でやるものだ。自分で自分の陰陽を見極めて、なるべく中庸のバランスに近づくよう工夫して料理したものを食べるのが本来のあり方だ。
いくらマクロビオティック料理とは言え、人が作ったものを受動的に食べるだけでは自分の陰陽バランスをコントロールするのは難しい。
それに、なんと言っても外食は値が張る。
マクロビオティックでは無農薬の野菜や自然派の調味料を用いるため、家で食べてもそれなりに食事の原価がかかってくる。それでも、外で食べるよりはずっと安く、美味しくて内容が安全なのでお得感がある。
だが、同じマクロビオティックでも、外食となると、食べる内容に対して価格がすごいことになってくる。
食事内容は家と同じなのに、値段だけがつり上がるような感覚がある。それなら家で食べればいいじゃんという気持ちになってくる。
自炊したくてもどうしてもできなくてやむを得ず外食になり、そこでマクロビオティックレストランを利用するというならわかる。だが、レビューを書くために、本当なら家で食べられるところをあえて外食するなんて不自然で気が進まない。
マクロビオティックには、執着を落とす効果がある。実践を進めていくと、それまでは外での華やかな食事が楽しみだったのが、家での淡々とした食事に心が満ち足りて外食などほとんどせずともいられるようになる。
せっかくそのように精神を鍛え上げたのに、何を好きこのんで無理矢理外食することがあるのか。
マクロビオティックレストランのレビューコンテンツを作るには、最低でも10店くらいは食べ歩かなければいけないだろう。その10店が、途方もない数に思えた。そんなに回れないよ。だって行く気がしないもの。一体コンテンツ完成までに何ヶ月かかるの?
考え、悶々と悩み、コンテンツ作成作業を中止した。そして、コラムの一記事としてアップすることに決めた。
この形ならば、「早くもっとたくさんの店をレビューしなきゃ」と気が急くこともない。もし行ったなら記事にすればいい。いつか新しいコンテンツにできるくらい数がたまったなら、そのときに独立させることを考えよう。
「マクロビオティック実践で得られる精神」と「グルメ食べ歩きコンテンツ」というのはどうにも相性が良くないのだということが今回のことで身にしみた。
「外食をしなくてもいられるようになったのって、幸(こう)なのかなあ、不幸なのかなあ……」と、寝る間際に妹に言ってみたら、「幸じゃな~い?」と返ってきた。
うん、きっとそうだよな。