2009年1月。マクロビオティック開始から一年九ヶ月。
正月だったこともあり、私の食生活は普段から比べると乱れた。
刺身、カニ、スモークサーモン。手作りの地鶏照り焼きピザにはマヨネーズもかけた。まさに一年に一度とも思える美食三昧だった。
一年前の私であれば、ここまでしてしまうと、必ず欲望がぶり返してきた。それまで必死に我慢して節制してきたのが途端に無駄になるくらい、一気に、体に良くないものを食べたくて仕方ない自分になってしまう。
だが、私は変わった。
自分でも驚いたのだが、もう、私の欲望は、ちょっとやそっとの刺激では目を覚まさなくなっていた。
マクロビオティック開始七ヶ月目、厳しい7号食を実践したとき、好物を短期間取り上げただけでも「大福食わせろ~」と怒り狂っていた欲望が、今は、エサを目の前に置いても素知らぬ振りで眠り続けている。
魚を食べようがカニを食べようが鶏肉を食べようが。乱れはその場限りで終わり、まったくあとをひかなくなった。
また、久しぶりにスーパーに行って、見れば買いたくなりそうでそれまでずっと避けていたスナック菓子のコーナーに行ってみたら、「美味しそう」とは思ったものの、「食べたい」とはまったく感じず、袋を手に取る気さえ起こらなかった。
あんなに好きで、ずっと離れられなくて苦労していたスナック菓子に、「いらない」とぷいと背を向けて立ち去れる日が来ようとは!
これは、もう「何も我慢する必要がない」ことを示していた。
それまでははっきりと我慢していたのだ。食べたいと思うのを、ダメと禁じてきたのだ。
けれど、そもそもいらないのなら、我慢する必要もない。
この、「どんなに魅惑的なものを見ても気持ちが動かない」という状況は日に日に強まり、一月末、もう一度スナック菓子コーナーで試してみたときには心に何の感情も浮かばないほどになっていた。
目には映るけれど心に届かない。以前であれば、こんな空腹状態でスーパーをうろつけば、誘惑の嵐に打ち勝つのが大変だったのに。
私は勝利の快感に震えた。
桜沢如一氏の言う、「食えるけれど食う必要を認めないから食わない」とはこのことなのではないか?
禁忌食を食う必要がなくなったとき、マクロビオティックのすべての制限は消え失せる。
何の制限もない! 自由で楽しいマクロビオティックの平野が、私の前に広がっていた!
そうか、今までの我慢、葛藤、苦しみ、考えて考え抜いたこと、繰り返した失敗、反省、気付き、すべてはここに来るための道のりだったのか!
万歳! 叫びだしたいほど嬉しかった。
↑2009年の年賀状(2009.1.1)
(マクロビオティック完成形。だが実験は続く~マクロビオティック実践記19に続く)