マクロビオティックの言っていることは正しい。私は今でも、マクロビオティックの食事というのは健康を保つのには一番良いと思っている。
私が過去最高に健康だったのは、マクロビオティックをかなり真面目に実践し、おにぎり・ごぼう汁定食だけで半年暮らしていたときだ。
自分だけのマクロビオティックを見つけようと様々な実験を試みていたときも、結局最後にはマクロビオティックの正しさを認めざるを得なかった。
砂糖だって、肉だって魚だって果物だって、ジャガイモ、ナス、トマトやタケノコも、「食べなくても健康でいられる」。まさにその通りだ。
ただ、正しいけれど窮屈だった。最初は良かった。健康も向上の余地があったから。けれど一年半も経つと、私は本格的に健康になってしまった。
マクロビオティックは、健康な人間が実践するものではない。健康な人には、マクロビオティックの原則は「行きすぎ」だ。そこまでやらなくていい。マクロビオティックから離れ、自分独自の食事法に移って良いのだ。
だが私はそのことに気づかなかった。健康であろうが何であろうが、病気にならないためにマクロビオティックを実践するのが最善と思っていた。
閉塞感
徐々に、健康的な食生活を「押しつけられている」感が強くなる。無用なルールに縛られているという閉塞感が出てくる。
それでも私はマクロビオティックをやめる気はなかった。「より自由なマクロビオティック」を見つけるという方法で、マクロビオティック実践の内容に幅を出そうと思っていた。
玄米と野菜だけではなく。少しなら、白砂糖もいいんじゃない? 肉やアルコールもいいんじゃない?
じゃあ、どのくらいなら平気なんだろう?
探るために暴食した。どこで体調が崩れるか知るために。
そうしたら本当に体調が崩れ、治りきらないうちに油断してまた暴食したりするからこじれて、いよいよ本格的にしつこい風邪をひいてしまった。
執着しすぎた
私は病床で考えた。マクロビオティックにいつまでも執着したから、風邪をひいたんだ。
マクロビオティックは、すでにサイズの小さくなってしまった服のようなものだった。だから新しい服を着れば良かったのに、私はその小さな服を無理矢理引っ張って伸ばそうとしていたのだ。
ギューギュー引っ張るから、ついにビリッと破けてしまったんだ。破けた服は食生活の破綻を意味する。そんなボロをまとう私。風邪をひくわけだ。
食生活だけではなかった。ちょうどその頃、種々のストレスが重なっていた。夏になりかけで、室温調節が難しく、何日も続けて寝冷えをしたりもしていた。
荒れた食生活、寝冷えにストレス。もうおしまいだ。
けれど終わりは始まりとは本当であった。
相当に傷ついて、くたびれて、行き倒れの旅人のようになった私は、マクロビオティックをやめることにした。
マクロビオティックをやめる
マクロビオティックをやめる! なんという勇気の要る決断だったろう。
だがこれが実に正解だったのだ。
私はボロ布の代わりに、新しくて美しい、ゆったりとした服をまとった。
そうしたら、なんと楽に呼吸ができることか。
食生活に、何の縛りもなくなった。それまでガチガチに縛られていたのだろう。あまりにふわふわと自由で、心もとなくなるくらいだった。
何を食べてもいいよ! 全部自分で決めるんだよ!
マクロビオティックの原則は存在しない。すべての食品が、ほら、もう手の届くところにあって、好きに食べられる!
そうなって、私が手を伸ばしたのは、玄米おにぎりと具だくさんの味噌汁だった。
マクロビオティックに「食え! さもなければ病という罰がくだるぞ!」とムチで叩かれていたころは「イヤだ! メロンパン食べてみる!」と反抗していたのに、「何でも食べてOK」となると、逆に体に良いものを選びたくなるのだ。
マクロビオティックで推奨される決まった食材で決まった料理を作ることには飽き飽きしていたのに、マクロビオティックというワクがなくなった途端、同じ料理が「とても健康に良いありがたいもの」に思えてきて喜んで食べられる。
やはり私は成長したのだろう。
最初は、右も左もわからない子どもだった。子どもであれば、「はい、道路を渡るときは、右見て、左見て、もう一度右を見て……」と言われたときに、ああそうなんだと新鮮な気持ちで従えるが、大人になれば、いちいち道路を渡るのにそんな講釈は不要となる。
「はい、右見て、左見て……」「わかってるよそんなこと! ていうかどう見ても車、来てないよね。そんなしつこく確認しなくていいじゃん」と悪態をつきたくなる。
だがいざ一人になって道路を渡ろうとしてみれば、無意識のうちに、教えられた通りに左右を確認したりするものなのだ。
しかしその左右確認はもう、指示を受けて起こした行動ではない。自分の意思でおこなったのだ。
指示を受けたのか、自分で考えて動いたのか。
この違いは大きい。
私はもう自分で考えて動けるようになったのだ。だから指示はいらない。
私はいつの間にかマクロビオティックになじみすぎ、反抗しないと自由を感じられなくなっていた。
反抗して、反抗して、ついに転落して、やっと抜け出せた。
マクロビオティックを始めたばかりの頃は、マクロビオティックのおかげで食生活がととのった。それが、マクロビオティックをやめたおかげで食生活がととのう日が来るなんてどうして想像できたろう?
マクロビオティックにマンネリ感を覚えている人へ
マクロビオティック実践歴がある程度長く、健康も得て、マンネリ感を覚え始めている人。要注意である。
神の声となり、過去の私に語りかけたい。
あなたはそろそろマクロビオティックより一歩先の段階へ進む時期だ。
いつまでも下の段階にいてもしかたない。先へ進むと良い。そこはもう、あなたのいるべきところではない。
無理してとどまると、不自然な力が生じ、心も体も蝕まれる結果となろう。
さあ、今すぐ向上しなさい! 上のステージへ! ダー!!
……こんな声が四ヶ月前に聞こえたなら私も風邪などひかず済んだかもしれないが……まあ、学んだことも多かったから結果オーライ。
進めや進め。我が健康道。