『のめるけれど、飲まない。食えるけれど食う必要を認めないから食わないが、食わねばならない時がもしあったら、それを飲み、かつ食ってもビクともしない、というような体格を作るのが食養です。』
桜沢如一氏のこの言葉が、長らく私の支えだった。
本当は何を食べたっていいんだ。何でも食べられるようになるために、今、制限をかけているんだ。
そう思うことで、白砂糖やスナック菓子から離れる辛さを乗り越えてきた。
そして今思う。私はずっと、桜沢氏の言葉の後半部分、『食わねばならない時がもしあったら、それを飲み、かつ食ってもビクともしない、というような体格を作るのが食養です。』に注目していたが、本当に大切なのは前半部分にあるのだ。
『のめるけれど、飲まない。食えるけれど食う必要を認めないから食わない』。ここがマクロビオティックのキモだ。マクロビオティックを自分のものとしてうまく生活に取り入れるために必要不可欠な部分だ。
『食う必要を認めない』。これは、その食品を体が欲しないという意味だ。別に、食べなくても平気でいられる。食べたくてどうしようもないという焦燥感がわきあがることがない。
欲望を抑えつけている状態とも違う。機会があってその食品を口にしたとしても、そこから勢いがついて止まらなくなるということもない。
淡々と。「別に、いらない。」この境地。
特定の食品から執着のなくなった状態。ここに到達することが、マクロビオティックを自由に楽しく実行する条件なのだ。
執着があれば、食べないという選択をするときに我慢が生じることもある。我慢はストレスだ。ストレスを溜めて、溜めて、どうして自分はいつまでも未練がましいのかと葛藤して、苦しんで。
マクロビオティックから脱落してしまう人がいるとすれば、この段階の苦しさが原因にある場合が多いのではないか?
どうしてこんなに大変な思いをしてまで、制限をかけなければいけないの。何だって、バランス良く食べる方が体にだっていいんじゃないの? 馬鹿らしい……と。
だが、ちょっと待ってほしいのだ。我慢したり、その我慢が苦しかったりイライラしたりする時期は、マクロビオティックに取り組み始めた誰もが経験する。
失敗だって何度もする。あ~あ、またスナック菓子を食べちゃった。せっかく二週間食べずにいられたのに……なんてことはザラだ。それを繰り返す。
繰り返し、繰り返し、自分を責めたり、試したり。成功したり、挫折したり。
そんな期間が、ざっと一年半はあると思った方がいい。私の場合はそのくらいかかった。我慢しているというストレスが、少なからずかかり続けた一年半だった。
だがそんな時期に耐えてじたばたしながらもマクロビオティックを続けようと努力していると、急に楽になる瞬間が訪れるのだ。「食う必要を認めない」状態の到来だ。
食べないでいられるのだから、食べないことが苦にならない。どんな制限でも、制限と感じない。たまにイベントがあってご馳走が出れば肉や魚を食べたりするが、癖になったりもしない。
なんて楽なのだ。別に、それまでのマクロビオティック実践を辛いと思っていたわけでもなかったのだが、この「食う必要を認めない」状態に至ると、我慢するのに以前は相当力を使っていたと気づく。
我慢、ストレス、辛い、苦しい、イライラ!
それは、真にマクロビオティックを自由に実行できるようになるための試練。試練があるからこそ宝物が手に入るのだ。
だから、現在、マクロビオティック実践に苦しさを感じている人がいたら、もう少し耐えて春を待ってほしい。
必ず来る。「食う必要を認めない」という季節が。