前回のコラム「邪食? 普通の食?」が、意外にも、母からの評判が良かった。
「肉でも砂糖でも、食べたければ食べたっていい」という論調が嬉しかったそうなのだ。
気合いを入れて時間もかけて書いた記事には反応が薄いのに、思ったことを何気なく書いた記事をそんなに褒められるとは、私としても拍子抜けというか、ちょっと驚いた。
「こういう記事が喜ばれると思うよ!」と母は言う。「何でも食べていいんだって思ったら、救われる人がいると思う」
母の、厳格ではないマクロビオティックへの渇望
母は以前から、厳格ではないマクロビオティックのあり方を見つけると、とても喜ぶ傾向があった。特に
「健康学園」(マクロビオティック合宿)の大変だった思い出
思うに、母は、マクロビオティックを「厳格にやらなければいけないもの」と決めつけている節がある。
小学生の頃、桜沢里真さん(桜沢如一氏(マクロビオティック創始者)の奥様)主催の「健康学園」という、マクロビオティック料理を食べながら講習を受ける合宿のようなものに姉と一緒に参加していたそうなのだが、その影響なのだろうか。
健康学園では、日本CI協会から来た人が料理を作ってくれて、それを食べていたという。
揚げ物もあったり、豪華で美味しかったのだが、食事の時間が決められて間食が許されず、お腹をすかせて過ごしていたそうだ。
合宿期間が終わって家に帰ると、「あ~大変だった! あんなのがずっと続くのはイヤだよね~」と、制限から解き放たれてスイカを姉とむさぼり食べたという。
マクロビオティック=大変で面倒くさい
母の中の「マクロビオティック」は、「健康学園」で体験したような非の打ち所のないきちんとしたもので、どうしてもそのイメージから抜け出せないのかもしれない。
マクロビオティックというものを一般に体験させる目的で開かれたであろう健康学園では、マクロビオティックの模範となるようなあり方が披露されたのだろう。その「基本」から各人で応用をきかせて自由に幅を広げていくところに面白さがあるのだが、母は、「マクロビオティックって大変だね、面倒くさいね」で終わってしまったのだ。
だからマクロビオティックというものから距離を置いたのに、なぜか娘である私が母とは関係のないところでマクロビオティックに出会って勉強を始めたために、母は再びマクロビオティックと相対さなければいけなくなった。
マクロビオティック=厳格なもの
小学生の頃に植え付けられた厳格なマクロビオティックの姿に、母は今でも怯えている。
イモの一つでも食べたらそれはマクロビオティックとは言えないのだと気にしている。
「マクロビオティックをやっているの?」と聞かれても、「いやいや、私のやっているのはマクロビオティックとは言えない」と答えているそうだ。
「どうしてマクロビオティックとは言えないなんて言うの? やってるって言えばいいんだよ」と私が言うと、「そう? そうだよね……」と自信なさげに肩を落とす。
私もマクロビオティックを始めてすぐの頃は、少しでも料理に原糖を使ったりすると「これはマクロビオティックに反するのでは」とビクビクしていたが、勉強と実践を一年半も続けるうちには自分のやり方に自信が持てるようになった。
母は、マクロビオティックと出会ってもう40年以上過ぎているのに、いまだにビクビクしている。
何を食べたっていいんだよと言うたび、初めて聞いたかのように喜ぶ母を見ていると、傷は深いのかなあと複雑な気持ちになる。
逃げたはずのマクロビオティックに、娘を通して再会してしまった母。マクロビオティックによほど縁があるのだろう。こうなったら覚悟を決めて、マクロビオティックと向き合ってもらいたい。そしてマクロビオティックの本当の楽しさを味わってもらいたい。
頑張れ母さん、一緒にリハビリだ!