(その3からの続き)肉、卵、牛乳の食物アレルギーのため、除去食で命を養って20年。体は、湿疹が出たときだけステロイド剤を塗って炎症をおさえ、顔は脱ステロイドに成功。
この頃になると、もう多少肉や牛乳を摂ったくらいで湿疹は出なくなっていたし、自分がアトピー性皮膚炎であるということをほとんど意識せず暮らせるようになっていた。
食生活の乱れ
この調子で、細く長くアトピーとつき合っていけば良い。もうすっかりアトピー対処法を身につけた気になって、かかりつけの皮膚科で処方してもらった手と体の薬を持ち、私は大学進学のため北海道から上京した。
だが、その油断は落とし穴だった。私は、自分の食への知識を過信していた。幼児のときから食べ物を自分で選んできたという自負、それによってアトピーを改善させてきたという自信が、危険を察知するアンテナを鈍らせた。
相変わらず、肉、卵、牛乳は基本的に避けて暮らしてはいた。添加物もチェックして、できるだけ有機野菜を買い、米は減農薬の7分づきだったし、調味料はすべて自然食品の店で揃えた。
しかし、それと同時に、美味しそうなものを見かけたらついふらふらと近寄って買い、食べてしまうことが増えた。口に入るものすべてに神経をとがらせていた保育所時代に比べたら、コンビニの調理パンは買うわ、テスト終了祝いと称してフライドチキンを買うわ、炭酸入りの清涼飲料水や缶チューハイで一人宴をするわ、毎日のようにチョコ菓子やスナック菓子を買ってその日のうちに平らげるわ……。
「基本的には良いものを食べている」ということが、自分の中での免罪符だった。普段は自然食品の店なんかで食材を揃えているのだから、少しくらいハメを外しても平気だと思っていたし、思いたかった。実際は「少しくらい」とは言えない状況だったのだが……。完全に欲望に負けていた。
残留農薬、ジャンクフード摂取の結果
昼は学食で弁当を買って食べることが多かった。「ご飯、焼き鮭、ほうれん草のおひたし、ひじき、卵焼き」がセットになっているような内容で、体に良さそうなものを選んでいたつもりだったのだが、やはり出所不明の食物には危険が潜んでいるものだ。
その頃、中国産の冷凍ほうれん草から、基準の180倍を超える農薬が検出されたと騒ぎになり、なんと私の買っていた弁当のほうれん草がその中国産だったとわかったのだ。
ジャンクフードを頻繁に食べたこと。残留農薬を長期に渡り摂取したこと。様々な要因が絡まった結果だろうが、私の体には今までなかった症状が出始めた。
まず唇の端が切れる。首に出た湿疹がじくじくといつまでも治らない。目の粘膜が盛り上がり、かゆくて、いつも充血している。指先や手のひらに、小さな水泡状の湿疹ができる。
学食の弁当を買わなくなったら唇の端が切れていたのは良くなったが、入れ替わるように耳の下が切れ、もみあげ部分や耳の後ろに湿疹が広がった。
枕元に薬を置き、毎日塗っていた。当時は、それが食べ物のせいだとも思わず、「いつものアトピーの延長だ」と気楽にとらえていた。あのとき症状の原因をもっと深刻に考え、食事内容を厳格にできていたら、早く改善していただろうにと思う。
卒業に向け、私の食生活はどんどん荒れていった。最後の方は野菜を切るのも面倒で、スパゲティーの麺をゆでてレトルトの具をかけて食べたりしていた。作るのも食べるのも億劫だった。光合成でエネルギーが補給できたらいいのにと考えていた。
食には人一倍敏感でなければいけない体で生まれたのに、食べることすら面倒がるような、受動的な意識になっていた。
アトピーだから、アレルギーだから、食べ物を選ばなければいけない。そう小さい頃から理解していたけれど、私の食への理解はそこ止まりだった。アレルギーじゃなければ、アトピーの症状さえ出なければ、何を食べたって良いのだ。そんな風に考えていた。
アトピーが軽くなっていた大学時代、私は、「食で自分が作られる」ことに気づかず、食を軽視していた。
「正しい食」が、アトピーを治すためでも、アレルギーを治すためでもなく存在することを知るまでには、大学を卒業してからさらに三年の月日が必要だった。