マクロビオティックを始める前、私は焼肉が好きだった。
私は肉にもアレルギーがあるから、食べるのは稀だった。だがその、数ヶ月に一度食べる焼肉が楽しみで、考えるだけでヨダレが口の中にわいたものだ。
けれど狂牛病が騒がれ始めたのをきっかけに足が遠のき、そのまま通わずじまいとなり、マクロビオティックを始めたから、もう最後に行ってから三年は優に経っていた。
そんなに長い間食べていないからといって特に支障はなかったし、このまま永久に焼肉なんて食べずに生涯を終えるのかもしれないなんて思っていた。
だが、そんな私を揺るがす出来事があった。
実験的に焼肉屋のチラシを見つめてみたら、食欲がかき立てられたのだ。
もう忘れたと思っていた。焼肉の写真を見たところで、何も感じないと思っていた。だが違ったのだ。焼肉が好きで、美味しい美味しいと思って食べていた頃の記憶が感覚として蘇り、「いいなあ、食べたいなあ」なんて思ってしまったのだ。
チラシを閉じればすぐに流れ去る感情ではあった。だが私は、「見れば惹かれてしまう」自分に危うさを感じた。
そこで、もう一度焼肉を食べてみることにした。きらめく思い出のまま閉じこめられた焼肉への思いを解放して、今の自分にとって焼肉がどのようなものなのか、新たな記憶を植え付けることにしたのだ。
訪れたのは、質の高い国産牛を食べさせるので有名な、駅前近くの焼肉店。牛タンと、特選サガリを注文した。昔好きだったものだ。
七輪の炭火がパチパチとはぜる。私は網の上に牛タンをのせ、両面をあぶった。レモン汁につけて口に運ぶ。
噛んだ瞬間、ものすごいボリューム感に驚いた。口の中が肉でいっぱいになる。少しでも中庸化させようと、私は肉を必死に噛んだ。だが玄米と違い、いくら噛んでもドロドロに溶けてはくれない。
確かに、好きだったあの味だった。美味しいかまずいかと言われれば、今でも美味しいとは感じる。だが、昔のように、次から次へ食べたい衝動がまったくない。一皿あったのがすぐになくなって、足りなくて、もう一人前追加していたときのようながっつき感がない。
飲み下して息をつく。私は牛タンを一枚食べた時点ですでに「もういらない」状態になっていた。体が肉を必要としていない感じがあった。食べなくていいと体が言っているのに食べるのは、気持ちのあまり良くないものだった。だが、こだわりのありそうな主人の店で、一度頼んでしまったものを大量に残すのも申し訳ない。
まだ皿に大量に残っている牛タンに泣きそうになりながら、私は肉を焼いて、よく噛みながら淡々と食べた。
特選サガリは、牛タンのさらに上をいっていた。ごろんとした角切りの肉にはきれいに霜が入っていた。これがしたたる肉汁になり、噛んだときに口の中でほとばしった。「牛の脂だ!」と瞬時に思った。飲みたくなかったが飲んでしまった。
肉としては本当に美味しいものだったと思う。それはわかるのだが、「いらない」のだ。牛タン一枚の時点で「もういらない」モードに入っていた私だったが、頼みすぎたことを反省しながらも必死にサガリを食べた。
最後まで食べきって、箸を置く。「もう、わかった」。心の中で何度もうなずいた。もうわかった。焼肉というのがどういうものだったか、今回のことでよ~くわかった。
わずかに残っていた焼肉への執着が消えた瞬間だった。「またいらしてください」と笑顔で見送ってくれるご主人に、永遠の別れを感じながら、私は店をあとにした。
この実験は私の記憶を塗り替え、以来、焼肉のチラシを見ても気持ちが動かなくなった。目には映るが、心に届かないのだ。
マクロビオティックは私を変えていく。好きだったものからそう簡単には離れられまいと思っていたけれど、じたばたとあがいていたら、いつの間にか焼肉を目の前にしても平気でいられる自分になっていた。
これから先、私はどんな風に変化していくだろう。どこまでも執着がなくなって、「食」からもっと自由になれる日が来るだろうか。
まだ道の途中ではあるが、その日を楽しみに、マクロビオティックを続けていきたい。