「マクロビオティック道の終点を迎えた経緯」でもマクロビオティックを巣立つことになるまでの心の動きを大まかに説明したが、書ききれない部分もあったので、ここに記しておきたい。
まず、マクロビオティックを実践している間は、言いたくてたまらなかったけれどどうしても言えなかったことを言う。
私は、マクロビオティック実践者の間に漂っているように見えた「排他性」に、最初から違和感を覚えていたのだ。以下に、公開せず保留扱いにしていたコラムを掲載する。
それは、強烈な排他性。
なんだか、コソコソしている。知っている人たちだけが寄り集まって、他の人に背を向けて、自分たちだけがわかる専門用語を使って話をしている。
これは、私がそう感じただけで、まったく主観的なものかもしれない。だが、少なくとも私という人間にとっては、マクロビオティックはとても閉鎖的なものに映った。
第一、このインターネット時代に、検索をかけてもまともなマクロビオティック情報が見つからない。
すべて説明しろとは言わないが、もう少し突っ込んだ解説がネット上で見られても良いのではないかと思った。
まあ、そんなことを他人に期待して待っていてもどうしようもないから、自分で勉強したのだが。
マクロビオティックを学んでいる人たちは、知識を出し惜しみしてるんじゃないか? どうしてもっとオープンにしないんだ? 手元に隠しておきたいってか? そんなんで世界平和なんてなあ。無理っしょ。
なんだかおかしな世界だなあと首を傾げながら勉強と実践を進め、お、こりゃなかなか素晴らしいものじゃないかと感激し、いっちょ私がマクロビオティックをもっとオープンなものにしたろと思い当サイトをオープンさせた。
開設から数ヶ月して、感謝のメールが舞い込み始めた。マクロビオティック初心者の方々からだ。おお、少しはお役に立てたかと嬉しく思っていた。
だが、中には難癖をつけてくる人もいたのだ! マクロビオティック実践歴が一年以上の、マクロビオティックへの熱が一番高くなっているであろう時期の人からだ。
曰く、この部分は○○先生の言っていることと違うから、直した方が良い、云々……。
自分の知っているマクロビオティックだけが正義と思って、それを他人に押しつけようとしてくる傲慢さに私は呆れた!
しかしこういう空気はマクロビオティックの世界全体に漂っているように感じた。あの人のやっていることはマクロビオティックだ、いやマクロビオティックではないと、足を引っ張り合って牽制し合うような雰囲気だ。
他人のやり方を受け入れるようでいて、実は受け入れない排他性。
いや~なんとも窮屈な世界だ!
そんな世界の中でも自由な立ち位置を保とうと奮闘したが、そのうち疲れ切ってしまった。
マクロビオティックには正答がない。ゆえに正答を求める人たちが混乱して、"誰か"の主義主張に答えを見出しべったりと依存する。
依存した結果、それ以外の考え方は"間違い"として攻撃する。
マクロビオティックの排他性。それは、自分の頭と体で自分だけのマクロビオティックを生み出す努力をしない人たちから発生してきたものなのかもしれない。
このコラムは2009年9月27日に書いて、しかし公開できぬまま日が過ぎた。
マクロビオティック巣立ち宣言をした後ではあった。だが、この「マクロビオティックコラム」という場所には、マクロビオティック実践時代の色合いが強く残っていた。
マクロビオティック道を歩み終えた立場でマクロビオティックを論じる場としては、なにか違うような気がした。
「マクロビオティック卒業後コラム」カテゴリーを作って、ようやく掲載する気になれた。
一歩も二歩も前進した気分だ。勇気を持って、新しい道を歩み始めて良かった。