「私はなぜ、マクロビオティックをやっているのだろう?」
自分の中でふくれあがってくる違和感に悩み、ついに「もうやめる!」と決断してマクロビオティックからの巣立ち宣言をしてから、もうすぐ二週間が経つ。
マクロビオティックを手放して、新たな食の道を歩み始め、まず一番初めに感じたのは「食べられるものが増えた」ということだ。
食べられるものが増えた
マクロビオティックを実践している間も、決して「我慢している」というわけではなかった。普段の食事さえととのえていれば、原則に外れたものであっても、食べたければ食べて良い。そう自分に許していた。
だが、マクロビオティックの原則を心から切り離した途端、今までは目に映っても選択肢として入ってこなかった食品を選択肢としてとらえられるようになった。
たとえば、自然食品店で買った砂糖入りのクッキー。りんごや柿などの果物。魚介類。
我慢しているつもりはなかった。だが実は、自分でも自覚できないほどの深い部分で制限していたのだろう。
あら、食べ物ってこんなにたくさんあるんだっけ? ずいぶん世界がカラフルになったなと思った。
マクロビオティックを実践している身にとっては、砂糖入りの菓子や果物、動物性食品などは、食べられるものではあっても「規範的な食べ物」にあらず。
食べることはあっても、「本当はダメなんだ」という罪の意識にさいなまれ、リラックスできなかった。
マクロビオティックを学んでいる途中においては、マクロビオティックの制限は心地よいものであった。「制限ではなく解放」と感じていたくらいだ。
だがその制限も、マクロビオティックの理論や実践法があらかた身についてからは窮屈なものになる。もういちいち指示を受けなくてもわかっているのに、いつまでもああしなさいこうしなさいと手取り足取り指導されるような感じ。
こうまで変わりゆくとは、自分のことながら不思議なものである。
食べたいと思わなかったものを食べたくなる
「食べられるものが増えた」だけでなく、「今まで食べたいとも思わなかったものが食べたくなる」という現象にも遭遇している。
たとえば「りんごバナナヨーグルト」。りんごとバナナを小さめに切り、そこにハチミツを混ぜたプレーンヨーグルトをかけ、和えて食べる。
これは、マクロビオティックを始める前に、たまにおやつとして食べていたものだ。
マクロビオティックを実践し始めてからは一度も食べていない。 そんなメニューがあったことすら忘れていたくらいだった。
それが、突然、りんごを食べているときに思い出したのだ。ああ、りんごバナナヨーグルトって昔食べてたなあ。美味しかったなあと。
また食べたいなあと思った。
食べてはいけない、食べられないものとして心の奥底に封印していたりんごバナナヨーグルトが、今、封を解かれてふわふわと浮き上がってきている。
今度、久しぶりに食べてみようと思うのだ。食べなくても平気だけれど、だからと言って食べないのではなく、もっと楽に、食べたいなあと思ったのだから食べてみようと思うのだ。
元々あった食生活をマクロビオティックによって壊し、また新たに創造する。
私の健康道、まだ始まったばかりである。