私は生まれてからずっとアトピー性皮膚炎と共に歩んできた。大正元年生まれの祖母から始まった体質で、それは母、私へと受け継がれた。
自身がアトピーである母にとって、娘の私にもアトピーが遺伝したことは容易に想像できたという。離乳食として試しに卵を食べさせたところ湿疹が出たため卵アレルギーと判断し、保育所に預けるときに「アレルギーだから卵を食べさせないように」と頼んでおいた。
だが当時、食物アレルギーによるアトピー性皮膚炎はまだ一般にあまり広まってはいなかった。
卵を食べると湿疹が出るということを信じられなかった保育士が、1歳になったばかりの私に、母に黙って卵を食べさせた。それですぐに症状が出なかったため、保育士は自己判断で卵を一週間ほど食べさせたらしい。
じきに頬に湿疹が出て、不審に思った母が問うたところ、「なんともなかったから食べさせた」と白状したそうだ。
アレルゲン特定
このことがきっかけで私一人だけ除去食メニューが導入されることになった。「除去食人生」スタートだ。だが、アレルゲンがいまいちはっきりしていなかったせいか、除去食も完全さに欠けた。四歳のときには、患者にアトピー体質の子が90%を占める(*1)という小児喘息にかかり、一ヶ月入院した。
保育所としては、もっときちんと対応するためには医師の診断書が必要だという。
私は、アトピー治療で北海道では有名だった後木健一先生(現在、苫小牧「うしろ木クリニック」(アレルギー専門医院)院長)に診てもらいに、札幌の勤医協中央病院まで車で4時間かけて赴いた。
後木先生は湿疹の出ていた私の顔を見るなりアレルゲンを特定した。
一番は牛乳。牛乳がダメということは牛もダメ。牛がダメということは四つ足の動物はすべてダメ。次に卵。卵がダメということは鶏がダメ。
「肉、卵、牛乳を摂ってはいけない」。
この、西洋医学が出した結論と、マクロビオティックの教えが共通していることは、偶然ではないように思う。私がマクロビオティックを信頼するゆえんとなっている、一つの事実だ。
除去食を徹底
後木先生の診断書を根拠とし、私の食物アレルギーは保育所に公に認められ、除去食が徹底されることになった。
とはいえ、アトピーはすぐには良くならなかった。湿疹を掻き破ったことがきっかけで「とびひ」(
不思議と、辛いとは思わなかった。子どもには自分の環境をそのまま受け入れ、順応してしまう才能があるようだ。被害者意識がないというのだろうか。「私はアトピーで、肉や卵を食べるとブチブチが出るから食べてはいけないし、今出ているブチブチを治すために薬を塗って包帯で保護しているのだ」。そう理解し、淡々としていた。
アレルゲンの入った食品の味を「知らなかった」のも大きいだろう。ラーメンを見てもフレンチトーストを見ても、興味はそそられても味を知らないのでさほど執着しないで済んだ。味を知ってから節制するのは大変だったと思う。
ただ、やはり、父が居間で卵かけご飯を美味しそうにかき込んでいるのを見たりすると、とても食べたくなった。ほんの少しだけとお願いして、卵の絡んだご飯を3粒ほど食べさせてもらったとき、美味しくて、量を気にせず食べられる父を心底羨ましく思った(子どもが卵のアレルギーなのに見せつけるように卵を食べる父というのは、思いやり的にどうなのだろうと今は思うが)。
だが3粒でも湿疹はすぐに出る。食べたいけれど食べられない。病気だとわかっているから辛くはないけれど、我慢はしていた。
保育所でのおやつの時間、皆がカステラやラクトアイスを食べる中、私は持参したプラスチックコップに番茶を入れてもらい、飲んでいた。
番茶を注いでくれる給食室のおばちゃんは私に同情していたが、どうってことはなかった。だって食べられないんだから仕方ないという気持ち。今でも皆の食べていたおやつが目に浮かぶほど、アレルゲン入りのお菓子は外見が魅惑的だった。けれど湿疹が出る方がイヤだったから我慢できた。
原材料にアレルゲンが含まれていないおやつのとき(おっとっとなど)だけ皆と一緒に食べた。そんなときは胸が躍った。
静かな我慢を重ねた幼少期のおかげで、私のアトピーは、小学校に上がる前にはかなり良くなっていた。