理想の人生とは何だろうか? 「自分の選んだ道で、うまくいくこと」だと私は思う。
最悪なのは「自分が選んだのではない道で、うまくいかないこと」だ。
私は大学を卒業するときに、これから自分にとって納得のいく人生を歩んでいこうと決意した。「やりたいと思ったことをやる。」
たとえ周囲が反対しても、もっともな理屈で説き伏せられそうになっても、私が信じた道ならば貫いて進む。
私は失敗を恐れる。自分がやりたいようにやって、失敗するのを恐れる。だがそれ以上に恐れるのは、自分の意思を他人に委ねた結果失敗することだ。
他人の言うように生きて、失敗したら、一体誰が責任を取ってくれるのだろう? 誰も取ってくれやしない。
「あなたの言う通りやったら失敗したじゃないか!」と泣きわめいたところでどうにもならないのだ。
そんな事態は本当に恐ろしい。日常の些細なことならまだしも、人生の大きな舵取りを他人にまかせて、後戻りできないような場所に来てしまってから「こんな景色は望んでいなかった」と嘆くなんていやだ。
最初から自分で
「あのとき自分の思うように進んでいたらどうなっていただろう?」と未練を残すくらいなら、最初から自分の道は自分で決めた方が良いのだ。
自分が選んだ道でうまくいかなくても、「この道は自分が納得して、好きで進んできたのだ」という誇りが失われることはない。
その誇りは、ささくれだった気持ちを落ち着かせ、慰め、新たな希望の灯火となってくれる。
そして、自分の選んだ道を歩む限り、理想の人生になる可能性は残り続ける。現時点でうまくいっていなくても、いつうまくいくかわからないからだ。
「自分の道は自分で決める」というのが、私が思う理想の人生を歩むためには最低条件として必要なのだ。
マクロビオティックも自分で
マクロビオティックにも同じことが言える。
私はマクロビオティック実践において、他の誰の助言も受けないと決めている。自分にとって最高のマクロビオティックにするために。そして失敗したときに、誰かのせいにしないために。
体調を崩したとき、私は神や仏に八つ当たりはしたが、具体的な誰かに怒りを向けずにすんだ。それは、私がずっと「自分の医者は自分、自分の指導者は自分」と思ってマクロビオティックをやってきたからだ。
すべて、自分の判断が招いたことだと思えた。
そう思えたのは、幸せなことだ。自分で納得してやってきた結果なのだと思えれば、最後には受け入れられる。
だから私は、私以外の人間から指示を仰ぐことはしない。たとえ桜沢氏の言うことでも鵜呑みにはしない。私のマクロビオティックは私が決める。そうでなければ、本当のマクロビオティックにならない。
「自分の選んだ道で、うまくいくこと」。理想を目指して、私は進む。
失敗すれば落ち込むし、愚痴や弱音もこぼしてしまうけれど、それでも心を汚さずに来られたのは、失敗すらも自分で選んだと思えたから。
人のせいにはできない。したくない。自分の人生だもの。
一度きり。不可逆の、この人生。悔いなく生きるために。
怖くても、自分で決めよう。自分で選んだのだと、はっきり言える自分でいよう。
その捨て身の潔さが心を情熱で輝かせるのだ。
【マクロビオティック卒業後の食事法について】
追記:その後、マクロビオティックを卒業し、自分オリジナルの健康道に移行しました。↓
↑「玄米・ごぼう汁基本食」を食べたらあとは何を食べても自由という食事法です。