食べ物を「副作用のない薬」としてとらえ、健康を維持するのに役立てるのがマクロビオティック。できればその「上品(じょうぼん)の薬」だけで身を養っていきたいものだが、そうも言っていられないときがある。
親知らず抜歯後の痛み止め、抗生物質だ。
私には下顎の左右に親知らずがあった。左は歯ぐきから少し出ていて、抜いたあとも痛みがほとんど出ず、抗生物質、痛み止めともに一錠ずつの服用で済んだ。
問題は右だった。完全に歯ぐきに埋もれ、歯科医からも「根が曲がっている。骨も削らなければいけないと思う。左より腫れや痛みが大きいと思ってもらった方が良い」と言われていた。
傷が深ければ感染の危険性も高まるのだろう。それでも私は、痛み止めや抗生物質をなるべく飲みたくないと思っていた。
特に抗生物質は耐性菌を作ってしまったり、副作用で腎臓に影響が出たり、腸内細菌まで殺して消化が悪くなったりすることがあるという。(*1)
体調を見て、飲まずにいられそうならなるべく飲まずにいよう。そう決めた。
だが、抜歯後、医者の予言通りに強い痛みが襲ってきた。熱も出てきた。
痛み止めを飲まずに耐えられない。痛みで気持ちが弱くなる。傷から入ったばい菌に体が負けたらどうなるのだろう? 不安になって、抗生物質を一錠、二錠と飲んだ。
結局、寝込んでいた三日間で、痛み止めを七錠、抗生物質は四錠飲んだ。前回の五倍以上の量だ。
歯ぐきの痛みは治まり、熱も下がったが、新たな一つの異変が体に生じた。
尿が出ないのだ。24時間以上もトイレに行っていないのに、まったく尿意もない。膀胱あたりに、チクッとした痛みを断続的に感じる。薬の副作用で、腎臓に負担がかかったのでは?
私は「腎臓病の人には、ひじょうによく効く、大切な食箋料理」(*2)とされている「小豆かぼちゃ(レシピはこちら)」を、母に頼んで作ってもらった。対症療法としてマクロビオティックを利用しようとするのは初めてのことだった。
器に盛られ、湯気を上げる小豆かぼちゃを口に運ぶ。薬漬けになっていた私の体に、小豆とかぼちゃの優しい力がみなぎっていく。さあっと音を立てるかのように、体内の水分の流れが良くなったのがわかる。あまりに早い変化に驚いた。
噛みしめて、涙が出た。それまで食べ物で泣いたことなんてなかった。小豆かぼちゃを食べて泣いているなんて、恥ずかしいからやめたいのに、涙が止まらなかった。かぼちゃと小豆の物言わぬ励ましと癒しの力が、何にも代え難くありがたかった。
歯ぐきを切って骨を削って、薬を飲んで、体にいっぱい負担をかけて調子を崩した私を、責めずに、治してくれようとするんだね。ありがとう、かぼちゃ、小豆。
「食養」。私はこのとき、「食は命なり、医なり」ということを体で実感した。これがマクロビオティックの力なんだ!
間もなく腎臓の痛みは消え、尿意が戻り、通常の間隔で尿が出るようになった。「上品(じょうぼん)の薬」が治してくれたのだ。
西洋医学の力がどうしても必要なときもある。親知らず抜歯後、痛み止めなしに乗り切るのは非常に困難だったし、抗生物質の服用も「これで感染症にはかかるまい」という精神的な安心感を与えてくれた。実際、体内で、重篤な感染症を予防するのに一役かってくれていたかもしれない。
だから、西洋医学を嫌うのではなく、西洋医学の得意分野と東洋医学の得意分野を両方とも生かし、組み合わせるような視点が大切になってくると思う。
普段はなるべくマクロビオティックで体をととのえ、病気を予防し、治すが、病の力が強すぎて対処しきれないときは西洋医学にもお世話になり、そこで発生した乱れをマクロビオティックで再びととのえる。
西洋医学に偏りすぎても、マクロビオティックに偏りすぎても、良い結果は生まれないだろう。どちらも適度に利用しながら、自分の健康を把握してうまく操縦していくのが、現代に生きる人間の賢い「中庸」なやり方だと思う。