この健康法で病気を治した道のり

十ヶ月ぶりの外出~病気に対する明るい諦めの心

治りが思ったより遅い

その4(「玄米・ごぼう汁基本食健康法」の開発と一歩ずつの回復)からの続き)

自分の病気を治すために編み出した玄米・ごぼう汁基本食健康法を続けて四ヶ月。

椅子に何時間か続けて座っていられる体力がついてきて、携帯型ゲームからは自然と離れることができました。

ただ、微熱や息苦しさは相変わらずでした。完全な健康と言うにはほど遠い現状と向き合いながら五ヶ月が過ぎ、六ヶ月目。

2009年の夏に病気になり、年内には治したいと意気込んでいたのに、とっくに正月です。

毎年欠かさなかった初詣には、もちろん行ける状態ではありません。

病気の回復速度は、自分が期待していたよりもずっと遅かったのです。

良い意味での諦め

半年も経てばすっかり健康になっていると思っていたのに、なんだろうこのありさまは。確かに良くなってはきているけれど、この調子では、一体、あとどのくらいかかるのか。

しかし、がっかりしながらも、私の中には良い意味での諦めが生まれてきていました。それは、自分の病態に対する理解でもありました。

なるほど、相当じわじわと治るつもりなのね私の体は。

一瞬で転落した健康は、取り戻すときには時間がかかるのね。

そう。わかった。それじゃそのつもりでいくよ。

療養は、重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし……。

イライラしても現実は変わらない

……私は、病気になって、できなくなったことがたくさんありました。外に出る。歩く。家事をする。踊る。体操する。

できることが当たり前で、どうしてできなくなってしまったのか、できない自分が不完全に思えて悲しく、「病気の自分は本当の自分ではない、早く健康な本来の自分に戻りたい」とイライラしていました。

けれどいくらイライラしても何も進展はしないのです。気持ちばかり先走っても、現実は変わらない。

だから、病気の自分が今の本当の自分であることを認めることにしたのです。

熱があって息苦しく、体力も不足している。それが今の私だと。

それならそれでいいじゃないか。仕方ない、病気になってしまったんだもの。

でも、何もできないわけじゃない。動けないなら動けない中で、それでもできることを、精一杯やればいいんだ。

できる範囲でできる限りのこと

今、確かに外を歩けはしない。けれど、パソコンの前で椅子には座れる。だったら、自分の今出せる体力の中で、サイトの運営をできるだけ頑張ろう。

自分のやれる範囲で、できる限りのことをやれば、それでいいんだ。

その気づきが起きた瞬間のことでした。祝福のように、それまでずっとあった肺の圧迫感が消えたのでした。

あれ、深く息が吸える。驚いて、胸に手を当てながら、何度も深呼吸をしたのを覚えています。肺の底まで息が吸えるとは、なんと気分の良いものでしょう。

2010年1月6日のことでした。

「息苦しくない日」の出現

残念ながら、翌日には再び息を深く吸いきれない状態に戻っていましたが、この日を境に、一ヶ月のうちに一日は「息苦しくない日」が生まれるようになりました。

毎日毎日、二十四時間、水中にいるように息苦しかった私には、たった一日でも「息苦しくない日」が生まれたのは大いなる進展でした。

七ヶ月、八ヶ月……。「息苦しくない日」は着実に増えていって、それにともない、体力も戻ってきました。

疲れてしまってとてもできなかった料理も、簡単なものなら作れるようになりました。

十ヶ月ぶりの外出

そして、2010年5月。

息苦しくない日は、一ヶ月のうち一週間を占めるほどになっていました。この、体調が良い時期を狙い、私は、実に十ヶ月ぶりの外出を果たしたのです!

母の運転する車に乗って、郊外をドライブしました。

目に飛び込んでくる広い空の青や、山の緑が、私の体に生命力を吹き込んでくれるようでした。

家に帰り着いたのちは、まだ少し肌寒い空気の中、ゆっくりと近所を400mほど歩きました。

歩く自分の影が、アスファルトに落ちていました。靴の裏から伝わる、地面の感触。

私は、今、外を歩いている。

歩ける喜び

まだ完全ではないし、油断はならない。けれど、体を起こせなくて、死の恐怖に泣いていた自分から見れば、夢のような回復ぶりです。

そう、私は、どんなに自分の足で、この大地を踏みしめて歩きたかっただろう。

道ばたに咲くふきのとうの花やクロッカスが、春の到来を喜んで輝いていました。

その二週間後、正月に行けなかった初詣にも、遅ればせながらようやく行くことができました

そしてついに、長いつきあいとなっていた微熱が治まるときがやってきます。

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